幕末から昭和初期の時代を生きた偉人や政治家などの人生を描くドラマなどを見ていると、妻は元芸者というケースが少なくないことがわかります。
本妻ではななく妾であったり、後妻であることが多い印象ですが、いずれにしても妻という立場で歴史に名を遺す人物を支えた女性として評価されているようです。
歴史上の偉人の妻に「芸者出身が多い」と言われる理由には、いくつかの社会的・文化的背景があります。以下に主な理由を説明します。
1. 芸者の教養と社交性
芸者は単なる遊び相手ではなく、当時の日本社会においては非常に高度な教養と会話術を身につけたプロフェッショナルでした。以下のような特徴があります:
- 古典芸能(唄・三味線・踊り)などの修練を受けている
- 客の話を引き出す会話術に長けている
- 社交場でのマナーや振る舞いが洗練されている
これにより、政治家・実業家・軍人などの偉人たちが芸者に魅了されるのは自然な流れでした。
2. 上流階級との接点が多い
芸者は高級な料亭やお座敷で、政財界の有力者と接する機会が多く、他の女性よりも上流階級の男性と知り合うチャンスが多かったです。
これは現代にも通じるところがあります。
例えば銀座のクラブや永田町に近い赤坂のクラブなどでは、政財界の大物と接する機会もあるわけです。
3. 良妻賢母としての資質を見出された
実際に結婚に至る場合、その芸者が「支えてくれる器量のある女性」として認められたことが多く、以下のような理由で選ばれました:
- 表舞台での社交の場にふさわしい振る舞いができる
- 夫の仕事や地位を理解し、内助の功を発揮できる
- 柔軟で臨機応変な性格を持ち合わせていた
4. 身分の壁が薄くなった時代背景
明治以降、とくに大正~昭和にかけて、封建的な身分制度が崩れたことにより、芸者と上流男性の結婚が現実的になりました。
5. 著名な例があることで強調されやすい
たとえば以下のような著名人の妻が芸者出身であることが知られており、「芸者=偉人の妻」の印象が強く残っています:
- 西郷隆盛の妻・イト(芸者ではないが似た背景の女性)
- 山本五十六の愛人(正式な妻ではないが深い関係)
- 鳩山一郎の妻・薫(芸者出身ではないが、お座敷文化との関係あり)
こうした具体例が人々の印象に残りやすく、「多い」という印象を強めている面もあります。
結論
芸者出身の女性が歴史上の偉人の妻になった例が注目されるのは、
- 芸者が当時の日本における上質な教養・魅力を備えた女性だった
- 偉人たちと接点を持ちやすい立場にあった
- 結婚後も公私にわたって夫を支える資質を発揮できた
という理由が背景にあります。
渋沢栄一の後妻
渋沢栄一の後妻は、**大内くに(おおうち・くに)**という女性です。
🧕 大内くにの概要
- 名前:大内くに(旧姓不詳)
- 出自:元芸者(東京・赤坂の芸者だったと言われています)
- 結婚:渋沢栄一の最初の妻・千代が1882年に病没した後、1884年に後妻として結婚
- 性格・評判:非常に聡明で物腰柔らかく、渋沢の家庭や社交の場でも高い評価を受けていました。
💡 渋沢栄一と「くに」との関係
渋沢栄一は多忙な実業家であり、さまざまな政財界人との交流もありました。くには芸者としての修練を積んでおり、以下のような点で渋沢の伴侶としてふさわしい存在だったと考えられます:
- 社交の場で恥をかかない洗練された振る舞い
- 会話力と機転、場の空気を読む力
- 家庭をうまく取り仕切る実務能力
実際、栄一の公私を支える後ろ盾として非常に信頼されていたようです。
📜 渋沢栄一と女性関係
渋沢栄一には芸者・妾も含めて複数の女性との関係があったことが記録されています。当時としては珍しいことではなく、むしろ実業界や政界では「家庭と社交の両立」の手段として、芸者との親しい関係を持つことは一般的でした。
その中でも「後妻として正式に迎えた」くには、家庭内での地位も高く、渋沢の晩年まで寄り添いました。
まとめ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 大内くに |
| 前歴 | 赤坂の芸者 |
| 渋沢との関係 | 後妻(1884年に結婚) |
| 評判 | 教養・品位があり、栄一の公私を支えた |
| 特徴 | 芸者出身でありながらも、内助の功を発揮した女性として高評価 |


