影武者が存在したと言われる人物たちと歴史ミステリーの関係!

歴史上の人

影武者とは、武将は戦場などで敵を欺くための身代わりのことです。

現在のように写真もないため、同じような体格で少し雰囲気が似ていれば、影武者を見つけることは容易だったのでしょう。

じつは歴史上の人物の影武者伝説は、ミステリー作品を生み出すほど謎に満ちています。

影武者伝説のミステリーを見てみましょう。

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平将門の影武者伝説

祟り神と恐れられる伝説の残る平将門には、6人の影武者が存在したと伝わっています。

将門本人と合わせて「七人将門」の伝説が残っているのですが、その時代の影武者は似ても似つかない人物だったという説もあります。

武田信玄の影武者伝説

戦国武将の影武者伝説といえば、やはり有名なのは武田信玄です。

なぜ有名になったのかと言えば、世界のクロサワと呼ばれる巨匠、黒澤明監督の「影武者」という映画が大ヒットしたからでしょう。

この映画は、主役を演じる予定だった勝新太郎が黒沢監督と意見の食い違いから降板し、その代わりに仲代達也が演じたことでも話題になりました。

しかし、この映画の当初のキャスティングでは、武田信玄役を若山富三郎、信玄の影武者役を実弟の勝新太郎が演じる予定だったのです。

ところが理由はわかりませんが、若山富三郎が出演を断ります。

それで勝新太郎が武田信玄と影武者の2役を演じることになったわけです。

撮影が始まった後に監督と上手くいかず、残念ながら降板となりました。

結果的に仲代達也の影武者は素晴らしかったのですが、若山富三郎と勝新太郎の兄弟コンビの影武者も観てみたかったな・・と。

今となっては叶わぬことですが。

武田信玄の影武者は3人いたと言われています。

信玄が存命中から、戦場で影武者になった人物もいたと言われていますが、なぜ映画になるほど武田信玄の影武者伝説が有名になったのかと言えば、信玄の遺言が理由です。

武田信玄は織田信長や徳川家康も恐れるほどの武将でした。

しかし、信玄の存在が亡くなってしまえば、武田家は織田、徳川家に攻めこまれてしまう危険があったのです。

そこで信玄は、自分の後継者が成長するまで時間を稼ぐために、信玄亡き後の三年間は死を伏せるようにと言い残したのです。

映画の「影武者」は、信玄に似てい罪人を影武者に仕立て上げるというストーリーになっています。

しかし、信玄の影武者を務めたのは実の弟である武田信廉だったという説が有力です。

3人は影武者がいたと言われているので、もう一人の弟の武田信繁も影武者を務めた可能性がありますが、信繁は川中島の戦いで討ち死にしているので信玄の死後にはもう存在していません。

影武者で信玄の死を伏せていたのですから、後に残る記録などがあるわけではないため、様々な説が浮上したのです。

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徳川家康の影武者伝説

江戸に徳川幕府をおき、天下泰平の世を実現させた徳川家康は、75歳で亡くなったと言われています。

しかし、じつは徳川家康は関ケ原の戦いで暗殺されたとか、大阪夏の陣では真田幸村に討たれてたという伝説があります。

歴史ミステリー小説に徳川家康は関ケ原で討たれ、その後は影武者が徳川幕府の大御所になり、二代将軍の徳川秀忠などに命を狙われながらも戦のない世のために力を尽くすという作品があります。

あくまでもフィクションですが、実在した人物が登場するだけに、リアルに感じてしまうのが歴史小説の魅力です。

影武者と替え玉の違い

影武者伝説を色々調べてみると、影武者とは存在の大きな人物の死を隠すことが目的だったように思います。

単に戦場で大将の命を危険から守るため、敵を欺く代役を置くのは影武者というよりも替え玉と言った方がしっくりくるのではないでしょうか。

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