明智光秀の描き方の違いが大きすぎて戸惑っている

歴史上の人

戦国時代のドラマや映画には、もう数えきれないほど登場していますが、そのたびに描かれ方の差が激しくて見ている立場としても戸惑うのが明智光秀です。

謀反を起こして本能寺で織田信長を討ったあと、三日天下とも呼ばれるほど短い期間で追い込まれてその生涯を終えた人。

織田信長の謀反を起こした理由については、いまだに色んな説が生まれます。

大河ドラマの主役として描かれたときも、最後までその理由として明確なメッセージではなく見ている人の解釈に任せるような終わり方でした。

結局、明智光秀は裏切り者なのか、悪者なのか、正義の人なのか・・その真実を知ることは不可能なのでしょうね。

真実がわからない、永遠の謎だということと、あまりにも様々な伝説が残っている織田信長の壮絶な最期なので、明智光秀も永遠に謎の人物として語り継がれるのではないかと思います。

その中でも、明智光秀の人柄を示すエピソードをいくつか集めてみました。

伝説なのか事実なのかわからないのですが、人柄を知るヒントになるのではないでしょうか。

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明智光秀の出生の記録はない

歴史上の人物のなかには、出生がよくわからない人がいます。

有名な人物であれば、歴史学者などが調べるのですが、それでもわからないこともあるのです。

そもそも存在を表に見せないような忍者のような人物であれば、出生も記録がよくわからないとしても、明智光秀ほど有名な武将でも出生がわからないのは意外ですね。

明智光秀は、生まれた年、生まれた場所、実の父親が誰なのかはっきりわかっていないのです。

所説あり・・ということで、そういう所説をうまくつなぎ合わせて大河ドラマなどで描いているのでしょう。

当時は乱世であり、よくわからないのも仕方ないのかも知れません。

しかし何よりも明智光秀という人物は、謀反人の悪党として語り継がれることになったため、出生についても詳しく語りたがる親族が少なかったのではないでしょうか。

所縁のある人たちが口を閉ざしてしまったことで、有名な人物なのに出生がよくわからないのでしょうね。

濃姫との関係

美濃の斎藤道三の娘が織田信長に嫁いだことは歴史上に残っているのですが、その娘が明智光秀といとこ同士で親しかったという描き方はこれまでにも複数のドラマで描かれてきました。

織田信長に嫁いだ斎藤道三の娘は濃姫(帰蝶・胡蝶)についても、じつはあまり記録が残っていません。

明智光秀といとこ同士だったという説は有力と言われていますが、そもそも出生がはっきりしていないので、あくまでも推測の域を出ないのです。

ドラマを盛り上げるために、濃姫と明智光秀と織田信長が恋の三角関係にあったという設定があったりすると、何となくそういう印象が残ってしまいますが、事実という記録は何もないのです。

また、濃姫に関して言えば、生涯をいつ終えたのかもわかっていないほど謎に満ちています。

何となく織田信長に関わった美濃の人たちのことは、歴史の闇に消えてしまったような印象があります。

明智光秀=天海という説

明智光秀は、6月21日の本能寺の変のあと7月2日に山崎の戦で羽柴秀吉に敗れ、逃げる途中で落ち武者狩りに遭い生涯を終えたと伝えられています。

しかし、じつは亡くなったのは明智光秀ではなく身代わりで、光秀本人は生き延びて徳川幕府の初期に絶大な影響力を持っていた天海和尚だったという説があるのです。

これも空想の世界の話ですが、なぜこのような説が生まれたのかというと、いくつかの理由があります。

例えば、徳川三代将軍の家光の乳母は、斎藤利光の娘(ふく)です。

将軍家の子の乳母ですから、素性も調べ上げるはずなので、謀反人である明智光秀の家臣の娘というのはすぐにわかったでしょう。

それでも乳母として雇ったということから、天海和尚が口利きしたのではないかと言われているのです。

その後、ふくは春日局として徳川幕府で絶大な権力を持つ人になるので、そういう流れから明智光秀が天海ではないかという空想が生まれたのではないでしょうか。

しかし、天海和尚については謎も多く「じつは○〇だった」という説はほかにもたくさんあるようなので、これも歴史ミステリーを盛り上げるためではないかと思います。

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なぜ描き方に大きな差があるのか

歴史ドラマが好きな人なら、大河ドラマを視聴している割合が高いと思います。

そうなると、たびたび出演する明智光秀の描き方の差が激しくて、かなり戸惑うのではないでしょうか。

たとえば2023年の「どうする家康」では、とても嫌な性格の人間に描かれていました。

これまでの歴史作品に描かれてきた明智光秀の中でも、かなり狡くて底意地の悪い人間に描いていた印象です。

しかし2020年に「麒麟が来る」では主役でした。

主役として描くには、これまで語り継がれている明智道秀のイメージでは、ドラマとして成り立たないこともあるので、今までとは違う人物のように演出されていて明智光秀に対するイメージを一新しました。

ところがその数年後には、またもと通りです。

なんともコロコロと変わって、視聴者としては切り替えるのが大変ですよ。

これは、ドラマ作品として演出するためなので仕方ないわけですが、事実としても明智光秀がなぜ織田信長に謀反を起こしたのが真実はまだ解明されていないことが大きな要因だと思います。

謀反を起こしてからたった10日ちょっとで戦に負けてしまい、裏切者のレッテルを貼られて何百年も悪者として語り継がれることになりました。

しかし、もしも秀吉に負けずにそのまま明智光秀が織田信長に代わって天下人になっていたら、今のような描き方はされなかったでしょう。

歴史はいつも勝者に都合よく語り継がれるものであり、記録として残されている書物の多くも、勝者に都合よく脚色されているものなので何が真実なのか知るのは難しいのです。

今でもなぜ織田信長の謀反を起こしたのか、真実はわかっていないからこそ、色んな推測、考察があるわけです。

描き方に大きな差があるのは、その作品では誰の目線から明智光秀を見ているのか・・ということがポイントなのではないでしょうか。

誰目線でその物語が描かれているのかを判断する材料にもなるのですね。

まとめ

歴史は常に勝者に都合よく描かれているということを頭に入れてドラマや映画を見る習慣を身につけないと、振り回されてしまいますね。

しかし、ドラマや映画は勉強ではなく娯楽なので、割り切って思い切りその世界に浸って楽しむのもアリなのかも知れません。

あなたにとって、明智光秀はどんな人物でしょう。

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