2025年の大河ドラマは「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ということで、主人公として描かれる蔦屋重三郎という人物に注目が集まっています。
蔦屋重三郎は、江戸時代に活躍した版元ということで、あの蔦屋書店とどんな関係があるの?とか、そもそも版元ってなんなの?など早くも話題になっていますね。
版元というと出版する人ということなのでしょうが、その本の制作をした人物、つまり現代の職業で言えばメディアプロデューサーと言われています。

江戸時代にプロデューサーって
あまりピンとこないけど

たしかに・・
プロデューサーとカタカナで言ってしまうと違和感あるかも知れませんが、じつは歴史上の人物の中には「名プロデューサー」と呼ばれるような人もいるんですよ。
今回は蔦屋重三郎のほかに、歴史上にはどのような名プロデューサーがいたのかご紹介したいと思います。
千利休
千利休と言えば、茶人としてあまりにも有名です。
しかし、茶人としてだけじゃなく、千利休のプロデューサーとしての手腕がすごかったので、時の天下人であった豊臣秀吉の側近になったのでしょう。
千利休がつくり出す世界観は戦国時代を生き抜いた武将たちも魅了し、利休のもとに通う武将たちも多かったとか。
のちに秀吉の怒りをかい切腹を命じられることになりますが、その原因の一つとして、利休の人気ぶりに秀吉が嫉妬したという説もあります。
徳川家康が天下人となり、戦国時代が終わったあと、武士たちは文化芸術を嗜むことが求められました。
茶の湯は千利休が亡くなった後も武士たちの間で流行し続けましたが、これは利休が今の言葉でいう「バズらせる」ために仕掛けたと考えられています。
きらびやかで派手なことで目立とうとする武士が多く、その筆頭が豊臣秀吉でしたが「侘び寂び」の演出が千利休でした。
その世界観に武将たちが夢中になったのですから、これはもう名プロデューサーではないでしょうか。
徳川吉宗
時代劇「暴れん坊将軍」でもおなじみの徳川幕府8代将軍徳川吉宗も、じつは名プロデューサーと言われています。
吉宗と言えば、徳川幕府の財政が厳しいときに将軍に就任したので、享保の改革を行ったことが有名です。
この改革によって農民の年貢が厳しくなったり、庶民の娯楽が取り締まられたりしました。
ただ、吉宗は民に厳しいだけではなく、自分自身も身に着けるものが木綿のもの、食事も一汁一菜、一日2回だけと質素倹約を率先しました。
大奥も大幅な人員整理を行い、2000人以上をリストラしたと言われています。
財政を立て直すための改革を押し進めるなかで、不満が徐々に膨らみ一揆が起こることもありました。
そこで吉宗は庶民も楽しめる娯楽が必要と考えて、花見の文化を流行らせたのです。
花見はそれまでにもあったのですが、庶民が広く楽しめるような文化ではなかったため、吉宗は江戸の町で花見を楽しめる場所を整備したのです。
それが現在も花見で賑わう隅田川の河川敷です。
国の財政の立て直しのために、庶民を厳しく縛るだけではなく、ときには楽しむことも必要だと考えたのは、名プロデューサーと言えるのではないでしょうか。
まとめ
2025年の大河ドラマは蔦屋重三郎がモデルです。
吉原で生まれ育った人物が、吉原をテーマにした出版物を制作したことで、その時代のメディアプロデューサーと呼ばれています。
ちなみに、あのTUTAYAの蔦屋書店のご先祖様というわけではなさそうですが、蔦屋というそれほど多くない姓であり、書店という商売から全く無関係というのは逆に驚きますね。


