戦国武将を描くドラマと言えば、大河ドラマが真っ先に頭に浮かぶのですが、同じ人物でも演じる俳優が違うのでイメージもコロコロ変わります。
例えば戦国武将の中でもかなりキャラが立っている織田信長です。
色んな俳優が演じていています。
大河ドラマだけじゃありません、映画やドラマ、アニメやゲームなどでも戦国を舞台にした物語では織田信長は外せないキャラでしょう。
演じる俳優によって違う印象になりますが、かなり多くの人が織田信長という人物をスラっとした高身長のイケメンを想像しているのではないかと思います。
実際はどうだったのか気になるところですが、今回は戦国武将の身長に注目してみました。
誰が一番高身長なのか、伝わっていることをまとめてみましょう。
2メートル超えの伝説
戦国武将に限らず、歴史上の人物の身長は遺骨が残っていなければハッキリとはわかりません。
見た目の印象が記録として残っていれば、そこから推測するのでしょう。
遺骨がなくても、鎧兜や衣類などからある程度はわかるようです。
じつは戦国武将の中に2メートルを超えるような人物が複数人いるのです。
たとえば忍の風魔小太郎は216㎝だという伝説があります。
そんな高身長の忍者がいたら目立つでしょうね・・
しかも風魔小太郎は高身長というだけじゃなく、牙があったとか、目や口が獣のようだったなど人間離れした風貌だったと記録が残っています。
これは人々にとってその人物がどう見えたのか・・が大きいのではないでしょうか。
ほかにも2メートルを超える大男だったと伝わる人物はいるのですが、伝説であり、記録が残っているわけではないようです。
しかし、今でも2メートルを超える人は存在しているので、絶対にないとは言えませんが、まあ盛っている部分も否めないのではないでしょうか。
戦国武将高身長ランキング
さてここからは、戦国武将の高身長ランキングです。
ここにあげる人物の身長は、たしかな記録として残っているとは限らないので、その点はゆるく見てくださいね。
また戦国武将とは、戦国時代に名を残した武将のことですが、戦国時代がいつからいつまでなのか、ハッキリとは言えないので、その点もおおめにみてください。
1位 斉藤義龍
斉藤義龍は、美濃のマムシと呼ばれた斉藤道三の息子です。
197㎝もあったというのですから、驚きです。
一説には、斉藤義龍が馬に乗ると、足が地面に着いたとか・・・。
これは、映画やドラマで使われるような馬ではなく、小さな馬が主流だったからです。
サラブレッドのような大型の馬は、日本国内には生息していなかったのです。
197㎝もあれば、小さな馬なら足が地面についてしまっても不思議ではないかも知れませんね。
この斉藤義龍ですが、自分が斉藤道三の息子ではないと思っており、親子関係は最悪だったため、最後は親子で戦う結果になり父親を討ち取りました。
2位 豊臣秀頼
豊臣秀頼は、豊臣秀吉と淀殿との間に生まれた二人目の男子です。
数多くの側室がいたのに、実の子どもは4人しか生まれていません。
一人目の秀勝は幼い頃に亡くなっており、二人目の娘は詳細が不明です。
三人目の鶴松は、淀殿が生んだ最初の男児ですが、幼い頃に病気で亡くなっています。
四人目の豊臣秀頼だけが、立派に成長しました。
身長は195㎝と言われています。
この高身長が秀頼が豊臣秀吉の実の子どもではないと言われ続ける理由でもあります。
何しろ、豊臣秀吉は150㎝に満たないほどの小柄な人だったと言われています。
でも、淀殿は背が高い女性だったと言われています。
淀殿の母親、お市の方も父親である浅井長政も背が高かったと伝わっています。
お市の方が165㎝、浅井長政が180㎝、娘の淀殿は170㎝近かったとも。
ということは、豊臣秀頼は母方の遺伝子を強く受け継いだと考えれば、195㎝の高身長も不思議ではないのかも・・・。
しかし、色んな噂があるのも事実です。
今となっては、確かめようもないのかも。
3位 藤堂高虎
藤堂高虎は、190㎝の高身長であったと言われています。
徳川家の家臣として、また築城の名人としてもその名は知られています。
加藤清正、黒田官兵衛と並んで、築城三名人として有名です。
浅井長政に仕えていた時期もあり、何度も主君を変えていますが、徳川家康には築城の名人ということで信頼を得たとも言われています。
幼い頃から体格が良く、その時代には珍しいほど大きな体に成長したようです。
4位 柴田勝家
柴田勝家は、身長185㎝と言われています。
そんなに大男のイメージはないのですが、よく描かれるのはひげ面のむさくるしい容貌です。
織田家家臣としての仕え、織田信長が本能寺の変で自害した後に織田家の家督を決めたとされる清須会議のあとに信長の妹お市の方と結婚しています。
お市の方と柴田勝家は、秀吉との戦で敗れて亡くなります。
4位 真田信之
同じく185㎝の真田信之は、あの有名な戦国武将である真田幸村の兄です。
関ケ原の戦のとき、真田昌幸は兄の信之を徳川側へつかせます。
これで真田の家を残そうとしたとも言い伝えられています。
この人もそんなに高身長のイメージはないので意外に思われる方もいるのではないでしょうか。
信之がそんなに背が高かったのなら、弟の幸村も高身長だったのかと思いたくなりますが、じつはそうでもなく、父親の昌幸も幸村も当時の平均身長程度しかなかったそうです。150㎝~160㎝くらいでしょうか。
また、真田信之という名は信幸と表されることもあります。
5位 前田利家
加賀百万石の大大名になった前田利家は、意外にも182㎝の長身だったそうです。
そういう印象はなかったので、驚きました。
前田利家は、織田信長の家臣として木下藤吉郎(豊臣秀吉)とともに織田家を支えました。
秀吉が関白になった後は、徳川家康と前田利家は秀吉にとって頼りにもなり、恐ろしくもある存在だったようです。
5位 直江兼続
上杉家の家臣、直江兼続と言えば愛の兜飾りが有名です。
身長は前田利家と同じく182㎝と言われています。
上杉景勝を生涯にわたって支え続けた、忠義の人でもあります。
優れた人物だったので、ほかの武将からのスカウトも度々あったと伝わっています。
あの秀吉からも、自分に仕える気はないかとスカウトされたことがあるほどなので、本当に優秀なひとだったのでしょうね。
個人的には大河ドラマの子役の印象が強くて、高身長で逞しい戦国武将の印象は皆無でしたが。
まとめ
源義経と共に立ち往生でこの世を去った武蔵坊弁慶は2メートル超えていたと伝わっていますが、定かではありません。
義経は140㎝台だったというのですから、身長差だけでも目立ちますね。
しかし戦国時代の成人男性は150㎝くらいが平均身長だったので、義経がとくに背が低かったわけではないのですね。
今回紹介した高身長武将たちは、平均身長よりも30㎝以上も高いのですから、記録に残っているのも不思議ではないのでしょう。
今の時代であれば、180㎝そこそこならたいして目立ちませんが、平均身長から考えるとその時代の日本人の体格から成長したのですね。