江戸は最盛期には約100万人もの人が暮らす世界一の人口密集地だったと言われています。
もともとは関東平野の荒れ地だった江戸を、徳川家康、徳川秀忠、徳川家光の三代で日本中から人々が集まるような賑やかな土地に発展させ、その後も江戸は繁栄を続けたわけです。
時代劇で描かれる江戸の庶民の暮らしぶりはあくまでも演出ですから、現実の暮らしはどうだったのか興味があります。
落語を聞いていると、江戸の庶民たちの暮らしの一端が垣間見えたりしますが、その中で気になったのが「貸布団」というシステムです。
現代で言うところの布団のレンタルです。
今もレンタル布団はありますが、江戸時代からあったのですよね。
なぜ江戸で暮らした人たちは布団を借りていたのでしょうか。
その理由について考えてみました。
「損料屋」という商売
江戸には損料屋という商売がありました。
これは今でいうところのレンタルショップです。
損料屋のような商売が成り立ったのは、江戸には全国から大勢の人々が集まってきたからです。
仕事を求めたり、夢をかなえるためなど目的は様々でしょうが、ほとんどの人は江戸では長屋暮らしをします。
現在のように引越し業者が家財道具を運んでくれるわけではないので、江戸に着いて長屋を見つけたらまず損料屋で布団や鍋釜などの生活必需品を借りるのですね。
身一つで江戸に出てくる人たちを相手にする商売が成り立つわけですから、以下の江戸に多くの人が集まってきたか想像できると思います。
江戸の庶民がミニマリストになる理由
損料屋があるので、江戸で暮らすための必要最低限のものはすぐに揃います。
遠方から家財道具を運ぶよりもずっと効率てきですね。
そういう利便性や効率性を追求した結果、江戸で暮らし始めてもあまり物を買いそろえずに、必要最低限のものだけで暮らすいわゆるミニマリストの人が増えたと考えられます。
自分で家財道具を買いそろえてしまえば、次に引越すときにも大変です。
そういう理由から、「江戸の庶民はミニマリスト」になったと考えられるわけです。
しかし、江戸の人たちが物をあまり増やしたがらなかった一番の理由は「火事」です。
江戸はとても火事が多く「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉もあります。
関東平野に乾いた風が下りてくるため、江戸はとても火事になりやすいのですが、何よりも人口密度が高いため長屋がびっしりと建ち並びます。
そのようなところで火事が起きれば、あっという間に燃え広がってしまいます。
家財道具などを買いそろえても無駄になることを考えて、あまり物を持たないようになったと考えられます。
長屋の造りも
じつは江戸の長屋というのは、とても簡素な造りの家だったそうです。
今、古い日本家屋が注目されていますが、それとは真逆です。
壁も薄く、簡易な造りの長屋が多かったそうです。
これは大家がケチったからではなく、万が一火事になったときのことを想定して、そういう簡単な造りにしたようです。
というのも、江戸時代の消火方法は現代のように放水がメインではなく、火事の延焼を防ぐために風下の家を破壊していったのです。
火消の組織は大工などの職人が多かったのは、建物の構造をよくわかっているので、破壊するのも早かったからでしょう。
火事の後にはまたすぐに長屋を立て直すのですが、また壊さなければならない時のことを考えて、極端な言い方をすれば「壊しやすい」ように長屋を建てたというわけです。
まとめ
江戸の庶民の暮らしはとてもシンプルだったのは、火事が理由だったのですね。
世界一の人口密集地だった江戸には、時代劇ではわからないことが山ほどあるということで、他にもまだまだありそうです。
落語の中から感じる江戸の不思議なこと、また探ってみます!


