「藪入り」という古典落語は、子供が丁稚奉公という制度があったころのお話です。
丁稚奉公という制度は、明治時代までは珍しくなかったそうです。
丁稚奉公している子供たちにとって、親元に戻れる休暇はとても楽しみだったはず。
藪入りとは、盆正月に親元に戻ることが許されるお休みのことでした。
丁稚奉公した子供と親の関係を見事に表現している「藪入り」は、今でも人気の演目です。
現代の親子関係との違いを見ると、この演目がさらに面白くなると思います。
「藪入り」のあらすじ
この演目は、明治時代にペストが流行したことが話のベースにあります。
ねずみを媒介して感染するので、当時はねずみを捕まえて役所に持って行くと懸賞がもらえるという制度があったのだ。
その時代の話です。
ある夜、床についてもなかなか寝付けない父親がいる。
寝付けない理由は、丁稚奉公に出した息子の亀吉が藪入りで帰ってくるからだった。
「亀の好きなうなぎを食べさせたいな。汁粉に天ぷらに刺身に・・・」と次から次へと。
母親が「そんなに食べられるわけないじゃないか」と言うが、父親は止まらない。
「湯へ行ってさっぱりしたら、浅草にも連れて行きたいな。品川で海も見せたいし、川崎のお大師様にも・・日光へも・・・」と次から次へと。
ろくに眠れないまま翌朝になると、亀吉が帰ってきた。
両親にきちんと挨拶をする様子を見て、父親は涙ぐんでしまう。
何しろ三年ぶりの藪入りなので、背も伸びてすっかり立派になっていたのだ。
さっそく湯へ行かせたあとに、母親が亀吉の荷物を整えようとしたとき、財布の中に子供が持つには額が大きい紙幣が3枚も入っているのを見つけたのだ。
父親に伝えると、奉公先の旦那が藪入りだから持たせてくれたのではないかと言うが、母親は何か悪いことに手を染めているのではないかと心配になった。
そう言われると父親の方もどんどん不安になる。
立派に挨拶して大人びた姿に感激していたのに「あの野郎、あの目つきは悪党の目だ」などと急に態度が変わってしまった。
そこで亀吉が湯から戻ると、父親は財布のなかの紙幣のことを問い正したのだ。
亀吉は「人の財布の中を見るなんて、下品なことをするもんじゃないよ」と言い返したためカッとなった父親は殴りかかろうとするが母親が間に入った。
「お前、それじゃこのお金はどうしたんだい?」と聞くと、ねずみを捕まえた懸賞だと答えたのだ。
大金だから奉公先の旦那さんに預かってもらっていたが、藪入りで家に帰るのだからと返してくれたというではないか。
両親は息子がしばらく会わないうちにすっかり立派になったことに感心し、疑ったことを詫びて、褒めたたえた。
こんなに立派にしてもらったのも旦那さんのおかげだと感謝して、亀吉にこう言った。
「これからも忠(チュウ)を忘れたらいけないよ」(ねずみの鳴き声と主人に対する気持ちをあらわす忠をかけた)
丁稚奉公とは
丁稚奉公は、10歳くらいの年齢になると、親元から商家や職人の家に住み込みで働きに出る制度です。
義務教育もない時代には、親元で暮らすよりも実践的な社会勉強になったと思います。
しかしそれはきれいごとで、食い扶ちを減らす目的で幼い子供を奉公に出す親もいたようです。
農作業など人の手が必要な家では子供も立派な働き手ですが、子供が増えれば食費もかかるので、商人の家で住み込みで働かせてもらえば食べるものには困りません。
苦肉の策だったのでしょうが、10歳という年齢で親元を離れて他人の家で働くというのは過酷だったのではないでしょうか。
藪入りとは
この演目の題名にもなっている「藪入り」は、今ではすっかり聞かない言葉です。
藪入りとは、盆や正月に実家に戻るために与えられる休みのことなので、年末年始とお盆に帰省するための休みとして残っています。
ただ、江戸時代や明治時代には、今のような雇用制度ではないため、週休2日なんてありません。
土日も関係なく仕事をするため、休みをもらえることが珍しかったのです。
ですから、なおさら藪入りで親元に帰れる休みは子供にとって待ち遠しかったでしょう。
落語の「藪入り」では、亀吉が帰ってくるのは三年ぶりです。
三年もの間、幼い子供が親元に帰れないなんて、今の時代では考えられませんね。
しかし、ある程度の期間をおかないと、もう二度と奉公先に戻りたくなくなるので、最初の藪入りまで数年の時間をおくことも珍しくなかったそうです。
何とも厳しい時代だったのですね。
まとめ
この演目は、親子でありながらも離れて暮らす時間が長くなると、子供の成長や変化がわからなくなる親の典型です。
奉公先で立派に成長しているはずなのに、妙なことで子供を疑ってしまうのも、離れているからでしょう。
親というのは、勝手なものだな・・・と考えてしまうのでした。