古典落語「唐茄子屋政談」は、遊び人の若旦那が親から勘当されるところから始まります。
江戸時代から明治時代までは、親子の縁を切ることが認められていたため、家を守るために息子や娘を勘当するという制度があったのです。
「唐茄子屋政談」の主人公である若旦那は、大きな商家の息子です。
お金には困っていないので、遊び人になっても仕方ないような気もしますが、商売を営んでいる親としては、店がつぶれてしまうのを防ぐためにはカワイイ息子でも勘当するしかないと考えることも実際にあったのでしょう。
しかし、この若旦那は勘当されるようなどうしようもない遊び人ではありますが、悪人ではない設定になっています。
それがこのお話のポイントではないでしょうか。
なぜ若旦那は悪人ではなく、善人なのに勘当されてしまうのか、考察してみましょう。
「唐茄子屋政談」のあらすじ
大きな商家の若旦那だった徳兵衛は、吉原に入り浸って道楽が度を越してしまい、親から勘当されてしまった。
それでも天性の楽天家なのか、何とかなると考えていた。
しかし、親戚には相手にされず、贔屓にしていた吉原の花魁にも冷たくされ、友達の家を転々とするもとうとう行き場がなくなり身を投げようとしていた。
そこへ通りかかり、急いでとめたのが徳兵衛の叔父だった。
叔父は勘当された徳兵衛に、何とか立ち直るきっかけを作ろうと考えた。
徳兵衛も行き場をなくしているので、叔父さんの言うことを聞くから何とか家に置いて欲しいと頼み込むのだ。
叔父は翌朝、徳兵衛に天秤棒をかついで唐茄子を売るように命じる。(唐茄子とはカボチャのことです)
天秤棒なんて担いだこともない徳兵衛は、真夏の炎天下でフラフラになっていた。
その様子を見ていたお節介な男が、周りに声をかけて売ってくれたため、唐茄子はほとんどが売れた。
そのとき、唐茄子を売って欲しいと声をかけられた。
どこか品のよさそうな女は、亭主が仕事で家を留守にしたきり何か月も戻ってこないため、生活に困っている様子だった。
幼い子供はお腹を空かせており、徳兵衛が持っている昼飯をジーっと見ているのだ。
思わず徳兵衛は、売れ残った唐茄子と弁当とその日の売り上げをすべて置いて、その女の家を飛び出したのだった。
叔父さんの家に戻ると、唐茄子はすべて売り切ったと報告するのだが、売り上げは無い。
徳兵衛が嘘をついたと思った叔父は、真相を確かめるために売り上げを渡した家まで出かけていったのだ。
ところが、徳兵衛が置いていったお金を返そうと慌てて追いかけたところに大家に出くわした。
家賃が溜まっているのだからと、その金を取り上げたのだった。
母と子は見ず知らずの人が置いていったお金を返すこともできなくなり、これ以上は生活していくこともできないと思い詰めて身を投げてしまったのだ。
そのいきさつを聞いた徳兵衛は、大家のところへ怒鳴り込み、殴りかかったのだ。
長屋の住民たちは、日ごろから因業で強欲な大家へのうっ憤を晴らすように、徳兵衛に加勢するほどだった。
ことが大きくなると、お奉行さまの耳に入り、大家は厳しく注意を受けた。
幸いにも母子は早く救出されたため、命は助かり、徳兵衛の叔父の長屋で暮らすことになった。
そして奉行所から徳兵衛は母子を助けた人物として、褒美を与えられることになった。
徳兵衛の親も、息子の善行が奉行所から褒められたことで勘当を解くことにした。
その後、商売に精を出して成功したのだ。
天秤棒を担がせて唐茄子を売り歩くという修行をさせて、親の怒りを和らげて勘当を解かせようとした叔父の企みが上手くいったのだった。
勘当された理由を考察
徳兵衛は道楽が過ぎて勘当されたわけですが、悪い人間ではありません。
勘当するほどのことだったのでしょうか。
なぜ親が勘当しなければいけないと思ったのか、考えてみました。
世間体を考えた
徳兵衛の道楽は、吉原に入り浸ってしまい、商売のための修行は蔑ろにしていました。
苦労知らずのボンボンが、吉原に入り浸って花魁に貢いで、家がつぶれてしまうような事例は多々あったと考えられる時代です。
商売は信用が第一ですから、跡取りになる予定の息子が吉原に入り浸っているようでは世間体がとても悪いはず。
商売に影響するようなことだけは避けたいと考えれば、心底の悪人じゃなくても勘当しなくてはいけないと考えたのかも知れません。
苦労を経験させるため
「かわいい子には旅をさせろ」という言葉があるように、親としては息子の将来のために泣く泣く勘当したと考えるのも妥当ですよね。
勘当という手続きが存在していたので、本気で息子を立ち直らせるためには、そのくらい厳しいことをしなければいけないと思ったのでは。
そもそも、金持ちのボンボンがお気楽で甘ったれに育ったのは親の責任だと思えば、早い段階で厳しい対応をしなければ手遅れになります。
徳兵衛の場合は、家の財産を失う前に勘当されたことが吉と出たわけです。
汗をダラダラ流しながら天秤棒を担いでフラフラになっている様子を見兼ねて、見ず知らずの人たちが助けてくれるという経験が、徳兵衛にはとても貴重だったのではないでしょうか。
それが母と子へ情をかけるきっかけにもなったのだと思います。
身内にアピール
勘当という制度は、江戸時代から存在したのですが、正式な手続きをするとかなり面倒でした。
役所へ届出る勘当は、親戚や町役人などの証人が必要だったのです。
そこまで正式な手続きをした勘当は、財産を守る効果があります。
また、連坐制といって極悪非道な犯罪人が身内のなかから出てしまっても、勘当していれば無関係なのでお咎めはありません。
ということは、たとえ自分の息子でも極悪人だと思えば正式な手続きを経た勘当をしないと連坐になりお咎めを受けることも考えられるわけです。
徳兵衛の場合は、そんな悪人ではないことはわかっており、奉行所から功績を認められて褒美を受け取ったあとにはすんなりと勘当が解かれています。
正式な勘当を解くのは、正式な勘当をするための手続きと同じようにとても面倒なので、きっと身内にアピールして息子への批判でもめるのを避ける目的ではなかったのでしょうか。
まとめ
結局「唐茄子屋政談」という話は、ほんとに悪い人は大家だけです。
しかし大家だって家賃を払ってもらわなければ困るのですから、そこまで責められるのも少々気の毒な気もします。
とはいえ、事情を聞いて母子の今後の生活のことを考てあげられないのは、大家としては血も涙もない因業な人間だと責められます。
幼い子供を抱えて、帰らぬ夫を待つ母のことを考えない行動は非難されても仕方ないと思います。
それにしても、これは実話ではないのでしょうが、このお裁きをしたお奉行さまはカッコいいですよね。