「茗荷宿」は古典落語ではあまり有名な演目ではありませんが、その時代の「飛脚」という職業がどのような仕事なのか垣間見ることができます。
飛脚の姿を描いたものをキャラクターとしている運送会社もあります。
現代では考えられない話ですが、走って手紙や荷物を運ぶ職業が飛脚だったのです。
「茗荷宿」という落語に登場する飛脚から、その時代の運送について考えてみましょう。
「茗荷宿」のあらすじ
東海道にある宿場に有名な「茗荷屋」という料理屋があった。
繁盛していたのに、今の代の当主になって店はすっかり寂れてしまった。
道楽がたたって店をたたむことになり、宿場の外れの峠道で宿屋を営んでいた。
滅多に客も来ない宿だったが、ある雨の夜に一人の飛脚が宿を求めて扉をたたいた。
その飛脚は、江戸と京の都を月に三度も往復するほどの強脚だったが、雨で足を滑らせて少し痛めてしまったので、一晩ゆっくり休むことにしたのだ。
宿屋を営む茗荷屋の夫婦は、滅多に来ない客に驚いたが、断る理由もない。
飛脚はとにかく眠らせて欲しいだけだと言い、挟み箱を宿の主人に預けた。
「百両入っているから、ちゃんと預かっておくれよ」と言って部屋に入ってしまった。
夫婦は顔を見合わせる。
百両あれば、借金を返してまた商売を立て直せるかもしれない。
しかし、奪い取るわけにもいかない・・・
そこで夫婦は考えた。
「茗荷屋」の由来は、茗荷がたくさん生えているからだ。
茗荷をたくさん食べると物忘れするという俗説を思い出し、飛脚に茗荷をたらふく食べさせて百両のことを忘れさせようと企んだ。
早速、茗荷ばかりを使った料理を運び飛脚に食べさせ、翌朝も茗荷尽くしの料理を食べさせたのだ。
宿を出るときに、飛脚は預けた挟み箱を忘れて走り出したがすぐに思い出し取りに戻る。
女房はがっかりして「茗荷で物忘れするなんてことないんだよ」と肩を落とすが、
「いやいや、そんなことない。宿代もらうの忘れた」
飛脚という職業
飛脚は挟み箱という箱を担いで走ります。
運ぶものはその箱の中に入る大きさのもので、手紙、お金なども含まれます。
幕府や大名が使う飛脚から、町人たちが使う町飛脚もいて、職業としては鎌倉時代にはすでに存在していたと言われています。
「茗荷宿」の落語に登場する飛脚のように、大金を運ぶこともあるわけですから、危険と隣り合わせです。
荷物を狙われることもあったでしょうから、その当時の平均収入よりも高い報酬だったと考えられています。
しかし、運ぶものによって運賃に差があったため、飛脚がすべて高収入だったというわけでもなさそうですね。
「茗荷宿」という落語では、夫婦が間抜けだったのですが、もしも悪人であれば・・怖い話です。
急いで届けなければいけないものを専門に運ぶ早飛脚はリレー方式だったため、運賃が高くても人数で割られるため驚くほどの高収入ではなかったそうですが、ハッキリとした記録が残っていないようですね。
茗荷と物忘れ
茗荷を食べると物忘れするというのは、なぜか俗説として伝わっています。
しかし、茗荷を食べて物忘れがひどくなるなんてことはありません。
なのになぜそんな迷信が伝わっているのかというと、理由はお釈迦様のお弟子さんでした。
お釈迦様の弟子に、とても物忘れのひどい人がいました。
何度も会った人でも、名前をおぼえられないほど忘れっぽいひとだったのです。
周利槃特(しゅりはんどく)というその人が亡くなり、お墓の周りに茗荷がたくさん生えたため、茗荷を食べると物忘れがひどくなるという言い伝えられるようになったとか。
仏教がもとになった俗説なのに、なぜか日本以外では聞かれないそうです。
不思議ですね。
まとめ
「茗荷宿」という落語を聞いたとき、まず思ったのは「飛脚がそんな大金をひとりで運ぶなんて」という驚きの感情でした。
東海道には、危険な峠道もあったはずなので命を狙われることだってあるかも・・。
そんな危険な仕事だったのかと、呑気な落語なのにそういう感想を持った記憶があります。
しかし、そういう職業があったからこそ茗荷宿が古典落語として生まれたのですよね。