落語の「鬼あざみ」の結末に首をかしげてしまう

落語の人

「鬼あざみ」という演目は、上方落語の古典です。

関東の寄席や落語会では、この演目を高座にあげる落語家は少ないのですが、上方落語には珍しい人情噺なので落語の好きな人なら聞いてみたくなるでしょう。

関西言葉の人情噺は、また違う魅力があります。

しかし「鬼あざみ」を聞いてみると、最後のサゲのところで「アレ?」と首をかしげてしまいました。

この演目の結末に感じる「アレ?」について考察してみました。

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「鬼あざみ」のあらすじ

妻に先立たれて、幼い息子と2人で暮らしていた安兵衛。

大家の紹介でおまさという後妻を迎えることになった。

おまさは貧しい家をきりもりするしっかり者で、継子の清吉にもやさしく接した。

しかし清吉は継母のおまさに懐かない。

息子のことが安兵衛夫婦の悩みのタネだった。

ある日のこと、清吉がおまさにこずかいが欲しいとねだった。

何に使うのかと清吉に聞くと、芝居に行きたいと言う。

子供だけで芝居には行かせられないから、お父さんと一緒に行くようにとなだめると、ふてくされた清吉は外に出てわざと転んで泥だらけになり、それを継母にやられたと父親の安兵衛に言いつけたのだった。

我が子の言うことを真に受けた安兵衛は、おまさを叱りつけて夫婦は大喧嘩になる。

そこに大家が仲裁に入った。

大家は安兵衛に「お前さんは知らないかも知れないが、清吉は近所でも有名な悪童だ。このままではどんな悪党になるか。早いところ奉公に出してしっかり鍛えてもらった方がいい」と忠告した。

驚いた安兵衛は、おまさに詫び、我が子がそんな悪い根性を持っているのならいっそ自分の手で・・と思い詰めたのだが、それもできなかった。

結局、大家の計らいで奉公に出すことにした。

それから10年の月日が経ったある日のこと、立派に成長した清吉が安兵衛夫婦のところにあらわれた。

身なりも物腰も言葉使いもすっかり大人になったのを見て、夫婦はとても喜んだ。

久しぶりの里帰りだから、まずは湯に行ってさっぱりしておいでと送り出し、清吉が着ていた衣類をたたもうとしたおまさは、奉公人には相応しくない額の金が財布に入っているのを見て驚いた。

安兵衛もただの奉公人にしては、着ているものも上等過ぎると不審に思い、湯から戻った清吉に問うたところ「見られたなら仕方がねえな。奉公先はすぐに飛び出して関東に流れ、今じゃ盗賊の頭となり鬼あざみと呼ばれているよ。今日来たのはな、今生の別れを言いきたのだ」と凄みのある表情を見せて去って行ったのだった。

清吉が盗賊の頭になったと知り、おまさは気を病み亡くなってしまった。

残された安兵衛はそれから三年後に橋から身を投げようとするが、それを止めて助けたのが清吉だったのだ。

清吉は鬼あざみと呼ばれる盗賊だったが、貧しい人へ施しをする義賊だったのだ。

「武蔵野にはびこるほどの鬼あざみ 今日の暑さに枝葉しおるる」という句を残して、31歳で刑場の露となって消えた。

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「鬼あざみ」の登場人物の心情

「鬼あざみ」は、上方落語には少ない人情噺ですが、前半部分と後半部分でふり幅が大きすぎて理解するまでに少し時間が必要でした。

これは私個人の感想ですが、ほんとに清吉はそんなに悪い子供だったのか?という点です。

清吉は幼いころに母親を亡くして寂しかったのだと思います。

そこに新しい母親が来たとしても、自分の母親の面影が記憶に残っている年齢であれば継母にすぐに懐かなくても仕方ないのではないでしょうか。

父親が新しく迎えた妻と仲良くなれば、さらに寂しさが増したのかも知れません。

そういう気持ちを紛らわせるために、近所でイタズラをしたとしても理解できます。

大家は自分が紹介したおまさのことをかばうために、少し大げさに清吉のことを悪く伝えたのではないかと思ってしまうのです。

そうでなければ、清吉がわざわざ10年後に親に会いに来ることや、安兵衛の身投げを助けること、盗みはすれど非道はせぬの義賊となったこと考えると「そんなに悪い子供だったのか?」とやはり考えてしまうのです。

安兵衛、おまさ、清吉の三人それぞれの気持ちを考えると、母親を亡くした子供が簡単に新しい継母を受け入れると安易に考える大人たちにも責任の一端はあるのではないかと思ってしまうのでした。

まとめ

鬼あざみの結末は、何とも後味が悪く感じてしまいます。

人情噺として、好きな演目にあげられる落語ファンも多いのに申し訳ありませんが、親子なのにわかり合えずに離れ離れになってしまったという悲しみの理由に触れてくれる噺家さんなら聞いてみたいと思います。

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