落語には床屋が舞台の演目が複数あります。
これは、床屋に集う人たちの様子を面白おかしく描くものが多く、床屋政談というような言葉があるように一種の社交の場であったからだと思います。
町内の男衆が集まる場所と言えば、夜は飲み屋で昼は床屋ということなのでしょう。
しかし「無精床」という演目は一味違います。
床屋が舞台になってはいるものの、人が集まってワイワイしている様子から生まれる面白さではないのです。
真面目に考えると、昔の床屋と今の床屋の違いが大きすぎて、驚きを隠せないレベルなのです。
「無精床」から見える床屋の今と昔です。
「無精床」のあらすじ
いつも通っている床屋が混んでいたので、仕方なく他の床屋に入った男。
やけの不愛想で店の中は汚れていて、あちこちに蜘蛛の巣がはっていた。
いやな予感はしたが、仕方なく「頭やってくれ」と頼むと不愛想な床屋の親方は「頭どこへやるんだ」と返答してくる始末。
さっさと済ませてもらうしかないと覚悟を決めるが、元結は自分で切れというし、頭を湿らせるための水にはボウフラがわいている。
きれいな水を汲んできてくれと、見習いの小僧に頼むと、親方は「うちの小僧は水汲みのためにここにいるんじゃないだ」と怒りだす。
仕方なく桶をたたいてボウフラが沈んだところの水をすくって頭を湿らせる。
さあやっと頭を・・と思いきや、親方ではなく見習いの小僧が剃り始めた。
生きているものを剃るのは、親方のケツの毛を剃って以来の二度目だと言う。
しかも剃刀の切れ味が悪くて、痛くてたまらない。
「剃刀の手入れはしてないのか」と聞くと「下駄の歯を削ってたときはよく切れました」と。
「痛い」と頭をさわると、血が出ているじゃないか。
それでも親方は慌てることもなく、小僧に「紙に糊ぬって貼っておけ」と荒っぽい止血をしてあやまることもない。
やっと親方に交代したと思ったら、どこからともなく犬が店の中に入ってきて、親方の足もとでウロウロしはじめる。
「少し前にお客の耳を落としてしまって、この犬がペロッと食っちまったんだ。それからというもの、お客が来るとよだれ垂らして耳を待ってるんだ」と。
恐ろしくなって「おい、早く終わらせてくれ」と親方に頼むのだが、犬は親方に甘えて芸まで始める始末。
犬の一生懸命なおねだりを見て可愛くなってしまった親方は、
「なんだお前は、甘えて。そんなに耳が欲しいのか。しょうがないか、今この人に頼んでやるから」
「無精床」の時代背景
無精床の演目は、高座にあげる噺家によって時代背景が少し変わります。
冒頭で床屋の親方から「元結は自分で切れ」と言われる部分がありますが、元結というのは髷を結わえるものです。
そして頭を剃るということは、男性が髷を結っていた時代なので、江戸時代から明治初期と考えます。
明治4年に明治政府が断髪令を出しますので、それ以前の時代背景なのでしょう。
明治政府が床屋を営むための理髪店鑑札を交付するのは明治12年からですが、それまでは江戸幕府の時代から続いていた髪結職鑑札が交付されていました。
国家資格を有するものしか営業できない現在の理髪師法は1947年(昭和22年)に施行されます。
つまり、この時代背景を考えると、江戸時代後期もしくは明治初期であれば国家資格の免許制度ではなく、届け出による許可制度で営業できたのです。
鑑札の交付で管理はされていたとしても、厳密な資格制度ではないだけに、ひどい床屋も存在したのではないでしょうか。
しかし、無精床ほどの床屋が現実にあったのなら、髪を整えるのも命がけという感じですね。
現代の理髪店は、衛生面での管理も厳しくなっています。
また理髪店の看板「サインポール」は赤と青と白の三色がくるくると回ります。
これはヨーロッパ由来で、もともと外科医が理髪を兼ねていたことから始まったと言われています;
動脈、静脈、包帯の三色をあらわしているのです。
日本が西洋の生活様式を取り入れるなかで、理髪業にもその流れがあったのだと考えられています。
まとめ
無精床は、床屋政談のような内容ではないので、床屋を舞台にした落語として聞くと拍子抜けするかも知れません。
しかし、床屋という職業の時代背景を考えると面白いです。
そんな無茶苦茶な・・というようなことでも、許容された時代もあったのだと想像しながら聞いてみてください。