近頃ではあまり聞くことができなくなった古典落語の「本膳」ですが、演目としてはとても面白くて、大爆笑してしまうような内容です。
題名の「本膳」とは、現在の日本料理の原型とも言われています。
この落語は、料理の作法がベースにあります。
料理の作法について気にする庶民の話は、あの古典落語にも通じるような気がしませんか?
あの?というと
茶道のお作法の?
「茶の湯」という古典落語は「本膳」に比べて高座にかける落語家が多いので、それほど落語に詳しくない人でも知っているかも知れませんね。
2つの古典落語から、共通する部分について考察してみました。
本膳とは
まずはじめに、題名になっている「本膳」のことを知っておきましょう。
本膳とは、本膳料理のことで、室町時代に武家のもてなし料理として始まりました。
本膳、二の膳、三の膳を並べ、一汁三菜(一汁五菜、二汁五菜、二汁七菜など)の基本となった食文化と言われています。
本膳の作法は難しかったそうですが、一番の基本は「同じ膳の料理を食べ続けない」ということです。
これは現在にも伝わります。
基本的に和食は「三角食べ」をします。
ご飯、おかず、汁を順番に食べるのは、今の食事にも通じる作法です。
落語「本膳」のあらすじ
ある村の庄屋さんの息子が嫁をもらうことになった。
庄屋は村の人たちを招いて、祝いの席を設けて本膳料理をふるまおうとする。
村の人たちは困ってしまった・・・。
本膳料理なんて、百姓をしている人たちには縁がないので、どんな作法なのか想像もつかないのだ。
ご馳走を食べたいが、作法知らずで失礼なことをして庄屋のご機嫌を損ねるのも困る。
しかし招かれているのに断ることもできない。
村人たちは「仮病で寝込むしかない」とか「いっそ夜逃げするか」などと言い出す始末。
そんな中で村人の一人が気が付いた。
「手習いの先生は、もとは武士だったのだから本膳の作法を知っているはず!」
そうだそうだと村人たちは揃って手習いの先生のところへ向かった。
手習いの先生は「なんだ、みなで百姓一揆でも起こす気か」と驚いたが、話を聞いて理解した。
「今から作法を教えていては間に合わない。とにかく私のやることをすべて真似ればいいだろう」ということになったのだ。
祝いの席が始まり、村人たちは先生のすることを真似て上手くいっていたのだ。
ところが先生が里芋を箸でつかみ損ねてしまい、コロコロと膳の上に転がしてしまう。
慌ててまた掴もうとするのだが、さらに失敗して畳の上に里芋が転がってしまった。
それを見ていた村人たちは、奇妙なことをするものだと思いながらも、すべて真似しなければいけないと思っているので、皆が里芋を畳の上に転がした。
手習いの先生は隣にいる村人を肘で突いて「何をしているんだ」と止めさせようとするのだが、またそれを真似して次々に隣の者を肘で突いていった。
最後の一人は肘を突けない。
「お師匠さま、この肘はどこ突けばいいんだべか」
無作法をテーマにした落語
「本膳」という落語を聞いて、「茶の湯」と似ていると思いますよね。
どちらも、本膳料理や茶道とは程遠い暮らしをしている人を招くので、ざわざわとしてしまうのです。
「本膳」の方はご隠居の暇つぶしとは違いますが、作法など知るはずもない村の百姓たちを招くのだから気遣いが足りませんね。
招く側はさて置き、なぜどちらも招かれる側が素直に「作法を知らない」と言えないのか不思議です。
せっかく招いたのに断るなんて失礼なヤツだと思われるのが嫌だからなのか、それとも作法を知らないと素直に言えないからなのか。
そこが一番、理解できない共通点です。
まとめ
本膳料理は、会席料理や懐石料理のもとになったと言われています。
武家が客人をもてなすときに、客の前に数多くの膳を並べるので、見た目にもとても豪華になるのですね。
お膳を並べる食事風景がほとんど見られなくなった現在でも、本膳料理の基本の作法は残っているのは興味深いと思います。