「崇徳院」という落語のように恋愛で寝込む人はほんとにいるのか?

落語の人

「崇徳院」という落語があります。

百人一首の中にある崇徳院の歌がキーワードになっているので、このような題名がついています。

内容は「恋わずらい」です。

この落語の中には、恋したことが原因で寝込んでしまった人が出てきます。

誰かを好きになると、気分が高揚して、元気になる人の方が多いような印象があるので、なぜ恋をして寝込むようなことになるのか不思議です。

ですが、昔から恋わずらいという言葉があるのですから、寝込んでしまう人がホントにいたのかも知れません。

それにしても、寝込むほどの恋愛とはどんなものなのか気になります。

今回は落語の「崇徳院」の内容から、恋愛が及ぼす身体への影響について考えてみました。

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落語「崇徳院」のあらすじ

ある日、大きな商家の旦那さんから、出入りの職人の熊さんは呼び出されます。

用件を聞くと、若旦那が原因不明で寝込んでしまったというのです。

医者を呼んで診てもらっても体のどこかが悪いわけではなく、心に原因があって食べ物が喉を通らなくなっていると言われたのです。

どんな悩みや心配事があるのかと、聞き出そうとしても頑として話そうとしない若旦那。

日に日に弱っていく様子を見ているだけの旦那さんは、若旦那と気心の知れた熊さんになら話すのではないか・・というわけで呼び出されたのです。

熊さんが若旦那の枕元に座ると、弱々しく目を開ける様子から、これはただ事ではないと思って若旦那から悩み事を聞き出そうとします。

やっとのことで聞き出すと、偶然出会った美しい女性に一目惚れをしてしまい、それからというもの食べ物が喉を通らなくなってしまったのだと言うのです。

熊さんは旦那さんに「原因は恋わずらいだ」と伝えます。

すると旦那さんは、その相手を探し出すように熊さんに頼むのです。

その女性を探す手がかりは、崇徳院の「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ」という歌だけです。

しかし、相手の女性もまた同じように恋わずらいで寝込んでいて、偶然出会った若旦那を探し出すように頼まれた人がいたのです。

双方が崇徳院の歌だけを頼りに、江戸の街を探し回り、ついに見つけるという内容です。

恋わずらいの原因

さて「崇徳院」の落語のように、人を好きになって体調を崩して寝込んでしまうのは、なぜなのでしょうか。

さすがに何日も食べ物が喉を通らなくなるなんてことは、想像しにくいですよね。

しかし、恋わずらいの原因を調べてみると、必ずしもあり得ないことではないようなのです。

誰かを好きになると、脳内物質の分泌に変化が起きるのです。

アドレナリン、ドーパミン、セロトニンという脳内物質は、それぞれに役割があります。

アドレナリンは緊張状態になったときに、心拍数をあげる役割。

ドーパミンは気分を高めて、興奮状態にする役割。

セロトニンは精神を安定させる役割です。

これらの3つの脳内物質は、自律神経のバランスがコントロールしています。

恋わずらいとは、誰かを好きなったことでアドレナリンやドーパミンの分泌が過剰になってしまい、コントロールが効かなくなることで体調に変化を起こすのです。

精神を落ち着かせるためのセロトニンの分泌が減少することが、恋わずらいの原因と考えられています。

緊張と興奮状態によって精神が乱れてしまい、眠れなくなったり、食欲が極端に落ちたりすることがあるのです。

逆に恋愛をするといつもよりも元気になり、活動量が倍増する人もいます。

これはアドレナリンとドーパミンの分泌量が適度に増えた状態になるので、元気がみなぎるわけですね。

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恋わずらいは今の時代もあるのか

「崇徳院」という落語に出てくるような、命にかかわるほどの重い恋わずらいは、今は滅多に聞きません。

ちなみに恋わずらいは恋煩いと書きます。

体調が悪くなるからといって、恋患いではありません。

恋煩いとは激しい恋心が煩悩(欲望)となり、それが心身のバランスを崩すわけです。

しかし、現代のように恋の対象も多様化しています。

自由に恋の相手を選べる世の中なので、あまり恋愛に対して高いハードルを感じなくなっているのではないでしょうか。

自分で自由に結婚する相手を選ぶことも許されなかった時代には、好きな人と一緒になれない苦しみから、体調を崩すこともあったかも知れません。

電撃的に恋に落ちても、連絡先を気軽に交換することもできなかった時代には、ただその面影を心に抱いているだけで恋煩いしていたのではないでしょうか。

じゃあ、今は恋煩いする人はいないの?

いえいえ、そんなことはありません。

今でも雷に打たれたような衝撃を受ける出会いから、燃え上がるような恋をすれば恋煩いする人もいるでしょう。

ただ、そこから行動しやすいのが、時代の変化なのではないでしょうか。

長く寝込んでしまうほど、思い悩むよりも、何とかして恋を実らせる方法を見つけられるのは幸せなことだと思います。

まとめ

「崇徳院」という落語は、誰も邪魔しているわけでもないのに、若い男女がそれぞれに重い恋わずらいで寝込んでしまうというお話です。

現代人から見れば、もどかしいストーリーです。

しかし、そういう時代を思い起こさせることで、恋愛に対する価値観の変化を感じられるのではないでしょうか。

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