どちらが賢い?「真田小僧」と「初天神」の主人公の子供をくらべる

落語の人

落語に登場する子供は、ちょっと生意気なキャラクターに設定されることがあります。

天真爛漫な子供もたまには登場しますが、やはり面白おかしく笑うためには、大人をからかうくらいの子供が登場した方が盛り上がるのかも知れませんね。

子供が登場する古典落語の中でも印象的なのが「真田小僧」と「初天神」です。

この二つの演目に登場する子供、どちらが賢いと思われるでしょうか?

比べてみようと思います。

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「真田小僧」のあらすじ

小遣いをもらおうと父親にせがむのだが、なかなか出してくれない。

「もういいよ、おっかさんにもらうから。この前、家にきたおじさんの話を近所の人にしゃべるというと、必ず小遣いをくれるんだ」という。

そんなことを聞いたら気になって仕方ないので、小遣いをやるから聞かせろと言ったら、寄席に行くから5円おくれと手を出す子供。

5円渡すと、父親が留守のときに訪ねてきたおじさんに「うちのがいなくてちょうどよかったわ」と言って家にあげたと。

「それからどうした」と父親はその先を聞きたがるが、これから先を聞きたいならもう10円ちょうだいと言う子供。

仕方なく10円を渡した。

すると子供は「おっかさんが小遣いをやるから外で遊んでおいで」というから家を出たというのだ。

肝心なところで!!と言うと「おいらも気になったからこっそり戻って障子の穴から見たんだ」と。

それで!!となるのだが、ここから大事なところだからもう10円おくれと手を出す子供。

しかたなく渡すと「いつも来る按摩のおじさんだった」と言って逃げ出したのだ。

まんまとだまされたと戻ってきた女房に話すと「うちの子は近所でも知恵が回ると有名だ」と自慢気な様子だ。

父親は母親の親ばかぶりに呆れ、あんなのは知恵じゃない!と言って「真田三代記」の一説を話して聞かせた。

真田幸村が14歳のときに、城を囲まれ窮地に陥った際に切り抜けた有名な逸話の場面だ。

その時に寛永通宝から六連銭が真田の旗印となり、大阪の陣の後に薩摩に落ち延びたという伝説がある・・という一説。

そのとき子供が帰ってきた。

父親は「金を返せ」というが、寄席で全部使ってしまったと。

講釈を聞いてきたというので、何を聞いたのかと問うと「真田三代記」だというのだ。

そして長い話をスラスラと聞かせてみせた。

感心している父親に子供はこう聞いた。

「六連銭ってどんなの?」と。

父親は50円を6枚並べて見せると「へえ、こうするんだ」と子供は自分でも並べてみせようとして6枚の銭を持って走り出した。

父親が「お前ってやつは!また寄席に行くのか」と叫ぶと「今度は焼き芋買いに行く」と飛び出していった。

父親は呆れて

「ああ、うちの真田も薩摩へおちた」

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「初天神」のああすじ

初天神へお参りに行こうとすると、女房から息子も連れて行って欲しいと言われる。

「嫌だよ、あいつを連れて行くと、あれ買ってくれこれ買って欲しいとうるさいから」と断るのだが、そんな時に息子が帰ってくる。

羽織を着て出かける様子の父親を見て、初天神に行くなら連れて行って欲しいとせがむ。

「お前を連れて行くと、あれ買えこれ買えとねだるから嫌だと言ってたところだよ」と父親に言わると、息子は「今日は何も買って欲しいとは言わないから連れて行って」とせがんだ。

仕方なく息子を連れて天神様へ向かうと、出店が増えてくる・・。

案の定息子は「おとっつぁん、今日は何か買って欲しいとねだらないから、そのご褒美に何か買ってくれ」と言い出した。

「りんごが食べたい」「りんごは毒だからダメだ」とこんなやり取りをしていたら飴玉屋があった。

色んな飴玉が並んでいるので、父親が選んでやるのだが、赤い飴玉をつかむと「女の子みたいでいやだ」とか文句をつける。

父親が指を舐めては飴玉をねぶるので飴屋が怒り始めたので慌てて1つ選んで息子の口に放り込んだ。

飴を舐める息子と並んで歩いていると、大きな水溜まりにはまりかけたので、父親が慌てて頭をはたいて注意すると飴玉を落としたと言って泣き出した。

「何だ、まだ舐め始めたばかりの飴玉を落として勿体ない。洗えばまだ大丈夫だ」と無茶を言って水溜まりを探すが見つからない。

どこに落としたのかと息子に聞くと「腹の中」と答える。

要するにビックリして飲み込んでしまったのだった。

次に息子がねだり始めたのが団子だ。

団子が食べたいと大きな声で泣いてせがむので体裁が悪くなり、父親は仕方なく団子へ。

「どれがいいんだ?」と聞くと「蜜がいい」というので蜜がたっぷりついた団子を1本買い求めた。

父親は「蜜を垂らして着物を汚したらおっかぁに叱られるからな」といい、蜜をすっかり舐めとってしまう。

蜜のない団子なんて嫌だと言うので、団子屋の隙を狙って蜜の入ったかめに団子をドボンとつけた。

息子は父親の真似をして蜜だけを舐めて、団子屋に話しかけて隙を作ってまたドボン。

団子屋に怒鳴られる始末だった。

さて今度は、凧あげをしたいと言い出す息子。

凧を買ってやると、手本を見せるからと言って父親は息子そっちのけで凧あげに夢中になってしまう。

あまりに夢中になりすぎて、近くを歩く人にぶつかってしまう。

そんな父親の様子を見て

「やれやれ、こんなことならおとっつあんを連れてくるんじゃなかった」

どちらが賢いのか

「真田小僧」と「初天神」をくらべると、賢いのは前者のように思います。

しかしこの二人の子は年齢がはっきりしないため、単純に比較はできませんね。

真田小僧の子は、悪い言い方をすれば親を騙して小遣いを奪っていますから、悪知恵の働く賢さです。

一方の初天神の子は、親へのねだり方を心得ている賢さですが、子供らしいのはこちらの方ですね。

共通しているのは、どちらの親も子供を愛おしく思っており、なんだかんだ言いつつ可愛くて仕方ないという点でしょう。

まとめ

親子が登場する古典落語の中でも、親より子の方が一枚上手で親がちょっと間抜けなところがほのぼのする話としてどちらも人気の演目です。

しかし、実際に自分の子供として想像するのなら、初天神に出てくる子の方がいいのかも。

真田小僧に出てくる子だと、財布が痩せちゃいそうですからね。

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