江戸時代に職業紹介所はすであった?落語にも登場する紹介業とは!

落語の人

仕事を探すとき、ハローワーク、求人情報誌、求人サイトなどで仕事を探すのが一般的でしょう。

まあ、そこが定番ですよね

まずはそこからです

今はそれが当然になっていますが、職業安定所は公共のものです。

そういう仕組みがなかった時代の仕事探しはどうだったのでしょう。

職業を紹介するような場所があったのか、いつの時代から職業紹介所のようなところができたのか。

そんなことを考えていたときに、ある古典落語を思い出しました。

それは「化け物使い」です。

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「化け物使い」のあらすじ

本所で一人暮らしをしている元御家人のご隠居は、とにかく人使いが荒いので、使用人が長続きしないことで有名だった。

身の回りの世話をする使用人がいないと困るので、やめてしまう度に日本橋にある桂庵の千束屋で紹介してもらっていた。

しかし何度紹介してもすぐにやめてしまうので、千束屋も紹介できそうな人がいなくて困っていた。

そんなときに仕事のくちを探していた杢助という男が目にとまり、人使いがとても荒くて使用人が長続きしないことを正直に話してみると、それでもかまわないというので紹介することになった。

杢助がご隠居のところへ行くと、いきなりあれやこれやと仕事を言いつける。

その人使いの荒さは話に聞いた以上だったが、杢助さんは三年間もご隠居のところで働いた。

しかし、どんなに人使いが荒くても黙って働き続けてきた杢助さんだったのだが、ご隠居が引っ越すことになり、急にやめてしまったのだ。

理由を聞くと、どんなに仕事がつらくても我慢できるが、お化けだけはダメだからと。

ご隠居が引っ越す先は、化け物屋敷として有名だったのです。

ご隠居は引っ越し先で一人になって困り果てる。

こうなりゃ化け物でもいいから出て欲しいと願う始末だ。

夜になると、急にゾクゾクっとしたと思ったら、一つ目小僧があらわれた。

ご隠居は驚くことも怖がることもなく、一つ目小僧に色々と仕事を言いつけた。

「明日はもっと早い時間に出てきておくれ、ただな、出てくるときはゾッとさせるなよ」と一つ目に言い渡したら、一つ目小僧は消えていった。

翌晩、またゾクゾクっとしたら大入道が出てきた。

ご隠居はまた仕事をいくつも言いつけて、「お前は10日に1回くらいでいいから、普段は一つ目を早い時間によこしてくれ、出てくるときはゾッとさせるなよ」というと、大入道は消えていった。

三日目の晩になると、今度はのっぺらぼうの女が出てきた。

ご隠居は裁縫や台所仕事などを言いつけると、すっかりのっぺらぼうが気に入った様子で「明日からは毎日お前が来てくれりゃいいよ」とご指名だ。

ご隠居にとっては、化け物は賃金も要らないし、飯も食べないで働いてくれるから大歓迎だ。

すっかりこの化け物屋敷が気に入ったところだった。

さて翌晩になってご隠居が化け物が出てくるのを待っていると、大きな狸があらわれた。

「なんだお前は!さては化け物はお前が化けてたのか?」と聞くと、狸は泣きながらこう言ったのだ。

「ご隠居さん、お暇をください。こんなに化け物使いが荒くちゃ辛抱できません」

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職業紹介所の需要

化け物使いという落語の出てくる千束屋は、仕事を紹介していたという記録があります。

職業を斡旋する口利きをして紹介料をもらう商売です。

このような商売が成り立つのは、各地から出稼ぎのために江戸の町に全国から人が集まってくるようになったからです。

それまでは、奉公人を雇うときには誰かの紹介が主な方法でした。

どこの馬の骨かもわからないのに、簡単に雇えないのは今も昔も同じです。

今でこそ、地方から都会に出てきたとしても、身元を確認する方法はいくらでもあるでしょう。

しかし、それができない時代もあったわけで、仕事をしたくて求人に応募してもことごとく断られてしまうなんてことが多かったのです。

そもそも求人の方法も限られていたため、縁故による雇用が多かったのでしょう。

でも江戸の町には縁もゆかりもない人間がどんどん出稼ぎに来るのですから。縁故のない人は仕事がみつかりません。

そこで仕事を紹介する口利きが商売として成り立つようになったのでしょうね。

古典落語「化け物使い」に桂庵の千束屋が出てくるのは、使用人が次々にやめてしまうため、知り合いの紹介では見つからないという意味もあったのだと思います。

まとめ

職業を紹介する桂庵は、芸者や遊女の斡旋業として昭和の初期までは続いていたようです。

戦後、職業あっせん業を規制する法律ができるまでは、あこぎな商売で稼ぐ桂庵もあったそうなので、化け物使いに出てくるような職業紹介所ばかりではなかったのでしょうね。

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