「明烏」という落語の登場人物の心理を探ってみる!

落語の人

明烏という古典落語は、吉原という歓楽街が存在していた時代を舞台にしています。

落語のジャンルの中でも、人気の高い廓噺です。

今の社会には存在しない文化ですから、吉原という遊郭は落語、映画、ドラマ、小説などの舞台としても人気がありますよね。

「明烏」という落語の演目は、数ある廓噺のなかでは入門編のようなものです。

とくに興味深いのは、登場人物の心理です。

それぞれの心理について、探ってみました。

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「明烏」のあらすじ

日本橋の日向屋の主人の悩みは、年頃になっても遊びのひとつも知らずに、真面目で堅物の息子、時次郎のこと。

真面目なのは悪いことではないが、商売人というのは、人付き合いも大切だ。

それなのに、外に出かければ幼い子供たちと一緒になって遊ぶだけで、大人の男の遊びには一切興味を持たない。

これではこの店の主として託すには、あまりに心許ないということで、主人は近所でも有名な源兵衛と多助という2人の遊び人に息子に男の遊びを教えてやって欲しいと依頼する。

浅草の観音様の裏に、大層ご利益のあるお稲荷様があるから、一緒にお参りに行こうと時次郎を誘い出して、源兵衛と多助は吉原へ若旦那を連れて行くことに成功した。

時次郎は、騙されて遊郭に連れてこられたことに気が付いて、一人で帰ろうとするが「吉原の入口にある大門には恐ろしい番人がいて、連れを置いて帰ると捕らえられて縛られる」と嘘で若旦那を留まらせたのだった。

その夜、花魁から袖にされた源兵衛と多助は、さっさと帰ろうと若旦那のいる部屋へ入って行くと、花魁とすっかりイイ仲になった時次郎が・・・。

「若旦那、もう帰りますよ」と促すのだが、花魁は時次郎をすっかり気に入って離さない。

呆れた源兵衛と多助は若旦那を置いて帰ろうとするが、「先に帰ってごらんなさい、大門で縛られるから」と・・・。

登場人物の心理

「明烏」に登場する主な人物は4人です。

遊郭の花魁や時次郎の母親を登場は、この噺ではあくまでも脇役的な扱いなので、ほとんど触れない落語家もいるので、ここでもクローズアップはしません。

日向屋主人

日向屋の主人は、なぜ真面目で堅物な息子を騙すような真似までして、吉原へ行かせたかったのでしょう。

落語の演目、時代劇などでは、大きな商家の若旦那が吉原通いをやめられずに、しまいには家の財産を食い潰されそうになり縁を切られるなんてストーリーも数多くあります。

もしも息子が吉原にハマってしまえば、家の財産を失うリスクだってあったはずです。

そのようなリスクを顧みずに、息子を吉原へ行かせた心理とは何だったのでしょう。

そこまでしなければいけないほど、真面目で堅物な人物は商売人として不向きなのかでしょうか。

推測ですが、江戸時代や明治時代の商売人に求められるのは、コツコツと真面目に仕事する気質は主人よりも番頭だったのではないかと考えられます。

番頭という立場の人は、主人に代わって店を切り盛りしたり、帳簿やお金の管理を任せられるので、真面目さが求められます。

しかし時次郎は跡取り息子なので、真面目一本やりの堅物では商売人として成功しないと悩み、リスクを覚悟の上で吉原へ行かせたのでしょう。

息子の性格を見て、ハマってしまえば通い詰めてしまうという心配はなかったのか不思議ではありますが・・。

それほど当時の商売人は遊びを知った上で、人間関係を上手く広げる要素が求められたのではないでしょうか。

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源兵衛と多助

近所でも有名な遊び人の源兵衛と多助。

どうしようもない人間のように見えますが、じつはこの2人は意外と良い人なのではないか・・と感じます。

その理由としては、日向屋の主人から頼まれたからといって、ちゃんと若旦那を立てて接しているからです。

遊郭には、遊び方のルールがあったと言われています。

どんなにお金を使おうとも、花魁が気に入らなければフラれることもあったのです。

源兵衛と多助は花魁から相手にされず、初めて遊郭に足を踏み入れた時次郎はすっかり花魁のお気に入りの若旦那になりました。

これは、源兵衛と多助が若旦那がモテるように、ちゃんと仕向けた結果ではないかと推察できるのです。

つまり、この2人は心底悪い遊び人ではなくて、ちゃんと物事の良し悪しを見極めることができるのではないでしょうか。

日向屋の主人が息子の将来を心配する気持ちを、察していたのだと思うのです。

若旦那の時次郎

時次郎は「明烏」の主人公です。

前半では堅物で真面目過ぎる青年ですが、噺の終わりにはすっかり変貌しています。

花魁と一緒に布団の中から先に帰ろうとする源兵衛と多助に対して「帰れるものなら帰ってみなさい、大門で縛られるから」と言ってのけます。

この時点で、すっかり立場は逆転しています。

初めて吉原に連れてこられて、ビクビクおどおどしていたのに、堂々としたものです。

その様子から推察すると、時次郎は花魁遊びにうつつを抜かして遊び呆けて親を困らせるような人物ではなないのでしょう。

心理状態はジェットコースターのように変化したとは思いますが、一晩でそこまで変われるのですから、大した人物だと思います。

まとめ

初めて「明烏」を聞いたときは、真面目な息子を騙してまで吉原に行かせるなんて、とんでもない親だと思った記憶があります。

しかし、何度も繰り返し聞いているうちに、登場人物それぞれが好い人なんだなと感じるようになりました。

真面目過ぎても、不真面目過ぎても、親は心配するものなのですね。

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