落語には、新作落語と古典落語があります。
新作落語というのは、落語家が新しく作るオリジナル演目のこと。
古典落語というのは、江戸時代、明治時代、大正時代までに作られた演目のことを言います。
ハッキリとした定義はないけれど、新作落語でも舞台は江戸時代や明治時代に設定している演目が多いのです。
現代の設定の落語は、お客様にもわかりやすいはずです。
それなのに古い時代に設定しているのは、その時代を舞台にすると、現代にはない文化が織り交ぜられるからでしょう。
今の時代を舞台にすると、吉原や品川などの遊郭の話は入れらないからだと思います。
古典落語には、遊郭や遊女が出てくる演目が数多くあります。
その時代を語る上で、欠くことができないのでしょうね。
女性の立場から言わせてもらうと、あまりいい気持ちにはならないのですが、過ぎた時代の文化に文句を言っても仕方ありません。
それに、落語を好きになると、遊郭で生きる女性たちの強さを頼もしく感じるようになりました。
ただ、どうしても感情移入できないことがあります。
それは、落語に出てくる奥さんたちが、あまりにも心が広いことです。
遊郭があった時代の奥さんたちの寛容さについて、掘り下げてみました。
「子別れ」のおかみさん
「子別れ」という落語は、人情噺として有名です。
あらすじ
腕のいい大工の熊五郎には、お光という女房と亀という息子と三人で暮らしていました。
熊五郎は酒癖が悪いところがありました。
ある日、酒に酔って帰宅すると、女房に対して遊郭の女郎との仲を自慢気に惚気ます。
さすがに堪忍袋の緒が切れたお光は、息子の亀を連れて出て行ってしまいます。
残された熊五郎は、遊郭の女郎を身請けして一緒に暮らし始めます。
しかし、女郎はろくに家事もせず、ゴロゴロと寝てばかり。
そのうち他に男を作って、出て行ってしまうのです。
熊五郎はひとりぼっちになると、自分がいかに愚かだったのか反省して、心を入れ替えて真面目に働きます。
そんな時に熊五郎は息子の亀と偶然会います。
母親と2人きりで貧しい暮らしをしていることを知り、亀におこずかいを手渡します。
そして、「明日は鰻を食べに行こう。ただ、このことはおっかさんには内緒だぞ」と言って別れます。
しかし亀が持っているおこずかいを不信に思ったお光は、まさか人様のお金を盗んだのではないか・・と亀を厳しく問い詰めるのです。
しかたなく亀は父親と再会したことを話します。
お光は次の日、亀が父親と待ち合わせている鰻屋の前まで一緒に行きます。
亀が両親を引き合わせて、2人はよりを戻すことになったというあらすじです。
子供が両親の仲を取り持つので、後半部分は「子は鎹(かすがい)」という別題もあります。
奥さんの性格
「子別れ」に出てくる女房のお光は、とてもしっかり者です。
酒癖の悪い夫の面倒も辛抱強く見ていましたし、熊五郎の家を出てからは、仕立てなどの仕事をして貧しいながらも子供と2人の暮らしを成り立たせていました。
その性格が完璧すぎて、熊五郎としては息苦しくなったこともあるのかも知れません。
性格は真面目で曲がったことが嫌いなタイプと想像しますが、熊五郎のことが大好きだったのではないでしょうか。
だから再婚もせずに、女手ひとつで亀を育てていたのだと思います。
再会するまでに三年経っている設定ですが、三年で熊五郎がしたことを許せるのはすごいと思います。
妻が呆れて子供を連れて家を出た後に、すぐに女郎を身請けして一緒に暮らすような男を許せるのですから、心の広さに感心してしまうのです。
その心の広さは、熊五郎への愛情がバロメーターだと思います。
「錦の袈裟」のおかみさん
「錦の袈裟」は、与太郎というとぼけた男が主人公です。
あらすじ
与太郎が町内の男たちと話していると、誰かが隣の町内の若い衆の話を始める。
どうやら、隣町の若い衆が揃いの長襦袢を作って、吉原で派手に遊んだことが噂になっているというのだ。
それに張り合おうということになり、錦の生地で作ったふんどしを揃って締めて吉原で遊ぼうという話になります。
与太郎は、錦のふんどしを作るあてもないので、とりあえず女房に正直に話して相談します。
与太郎の女房は、話を聞いて最初は怒りましたが、町内の若い衆との付き合いなら仕方ないとして許します。
錦の布なんて手に入れられないので、与太郎は困っていましたが、女房が知恵を出します。
お寺の和尚が法要の時に着けている袈裟に目を付けたのです。
光沢があり、いかにも高価に見える袈裟なら、上手く巻けばふんどしにすることもできるというアイデアです。
与太郎が上手くお寺の和尚から袈裟を借りる方法お、すべて女房が考えて教え込みます。
何とか借りることに成功し、袈裟をふんどし代わりに締めて遊郭に出かけていくのです。
和尚の袈裟には輪が付いていて、普通のふんどしとは違うのは誰が見てもわかります。
ですが、与太郎のおっとりとした性格と、輪のついた豪華な錦のふんどしが、身分の高い人物ではないかと思わせて、与太郎は遊郭でモテモテになったというあらすじです。
奥さんの性格
与太郎の奥さんは、今の言葉で言えば鬼嫁のような強い女性です。
頼りない旦那が何とか世間で一人前になるように、手綱を引いているという感じのしっかり者の女房のイメージです。
旦那が仲間と遊郭に行くのを知って、最初は怒りますが、仲間との付き合いを重視して許します。
そこから考察すると、与太郎の奥さんには嫉妬心はあまりなかったのではないでしょうか。
嫉妬よりも、夫が仲間から認められることが大切だと考えていたのだと思います。
すごく懐が深くて、強い女性なのでしょう。
遊郭はいつまであったのか
遊郭は1958年(昭和33年)まで存在しました。
今では想像できない世界ですが、当時は政府も禁止していなかったのです。
ですが、そこに夫が通うのを妻が許すのはよほど裕福な家じゃないと無理でしょう。
家計が苦しいのに、夫が遊郭通いをすれば夫婦仲は悪くなるはずです。
そう考えると、「子別れ」や「錦の袈裟」のような落語が受け入れられたことが不思議です。
しかし、男社会だった時代に作られた話なので、男にとって都合の良い女房が描かれたのではないかと考察します。
まとめ
廓話(くるわばなし)と言われる落語の演目は多いですが、奥さんが登場する話はそれほど多くありません。
女性のウケを考えていなかった時代に作られた古典落語なので、男が考える「好い女房像」が描かれているのではないでしょうか。