「六尺棒」の落語のように勘当はどれほどの効力があったのだろう!

落語の人

古典落語にはよく登場する大店の主人と息子。

「六尺棒」では、遊び惚けてデキの悪い息子を懲らしめるために、勘当してい追い出そうとする親子のバトルが面白おかしく描かれています。

大店の息子として生まれた子は、きっと大切に育てられたはず。

使用人たちに甘やかされて、ワガママに育ったためにデキの悪い息子になったのかも知れませんよね。

それでも家を守るために、息子を勘当すると言い放つ父親。

それを何とか阻止しようとする息子。

「六尺棒」はそんな親子の駆け引きがあります。

ところで、この勘当というシステムの効力はどの程度のものなのか、掘り下げてみましょう。

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「六尺棒」のあらすじ

「六尺棒」という落語に登場するのは二人だけです。

大店(大きな商店)の主人である孝右衛門と一人息子の孝太郎です。

ある夜、孝太郎は数日ぶりに家に帰ってきます。

床屋に行くと言って家を出たまま、吉原に入り浸っていたのです。

戸をたたいて店の使用人に開けさせようとしましたが、中から聞こえてきたのは父親の孝右衛門の声でした。

父「もう店は閉まっていますので、お買い物でしたら明日お越しください」

息子「客じゃないんですよ。あなたの息子の孝太郎ですよ」

父「孝太郎という息子がいましたが、とんでもない道楽者でしたので、親族で話し合って勘当いたしました。あなたは孝太郎のお知り合いですか?それならば二度と帰ってこないようにお伝えください」

息子「勘当とは、困りましたね。一人息子を勘当したらこの家はどうなるんですか」

父「そんなこと関係ない!とお伝えください」

息子「だいたい、デキの悪い息子は親のせいじゃないですか。製造元が悪いから子のデキも悪くなるのですよ。」

父「何を言ってやがる!隣の孝蔵さんのような親孝行息子を少しは見習え!」

息子「どうしても勘当するというなら、この家を燃やしてやる。どこの誰ともわからないやつにこの家の身代(家や財産)を持っていかれるくらいなら燃やしてしまおう。ちょうどここにマッチがある」

父「この馬鹿者!」

そこにあった六尺棒をもって孝太郎を追いかけたのだが、逃げ足の速い息子は家をぐるっと回って父親が飛び出して開け放してあった戸をピシャっと閉めてしまった。

立場が逆転した父に対して、息子は父親を勘当したと言って戸を開けません。

そこで父が「私のマネをしたいなら、六尺棒を持って追いかけてこい」

とまあ、こんなやり取りをする落語です。

デキの悪い息子ですが、口は巧でずる賢いので、きっと育て方が良ければ立派な跡取りになったのではないかと思います。

六尺棒とは

この古典落語のタイトルでもある六尺棒とは、防犯用の棒のことです。

今のような施錠設備はないため、泥棒に押し入られた時に対抗するための棒を置いておく家が多かったのです。

六尺とは180㎝ほどの長さです。

そんなに長い棒を防犯用に使っていたのですね。

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勘当の効力について

「六尺棒」だけじゃなく、古典落語には勘当された息子が登場する演目は数多くあります。

今でも勘当という言葉は使われていますが、実際に勘当というシステムはありません。

ただ親子の関係が悪くなり、親子が縁を切るような状態を勘当というだけで、戸籍上は親子のままです。

しかし江戸時代までは、親族が協議した上で届け出れば、赤の他人になるのが勘当だったのです。

それはその時代の連坐から逃れるためです。

連坐とは、親族の中に犯罪者が出た場合に、家族も一緒に罰せられることがあったのです。

いわゆる連帯責任ですね。

例えば、遊び人の息子があちこちで借金をして踏み倒した場合には、親族にも責任が及びます。

一人の愚行のせいで、財産など全てを失う恐れもあるのです。

そこで、前もって勘当の手続きをしておけば親族への責任は免れることができたというわけです。

つまり、現在のように

お前のような息子は勘当だ!

というのとは、わけが違うのですよ。

「六尺棒」の息子が抗うのも、無理はないわけです。

まとめ

「六尺棒」という落語のタイトルだけでは、まさか親子が勘当するしないを巡って言い争うなんて内容は想像できないと思います。

ですが、ほんとに勘当というシステムがあったので、古典落語には勘当がテーマになった演目がかなり作られたわけです。

できれば当時の勘当の制度について、知ってから「六尺棒」を聴くと、また違う感想を持つ方も出てくるのではないでしょうか。

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