愛知県の名古屋市には、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人が主役のお祭りがあります。
三英傑に扮する人を選び、名古屋の街中を輿に乗って練り歩きます。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は、戦国武将のでも有名な3人です。
3人とも愛知県出身ということで、名古屋まつりでは三英傑が主役になっています。
戦国時代を描いたドラマでは、おなじみの3人と言ってもいいですよね。
大河ドラマだけでも、三英傑が何度登場したか数えたこともないのでわかりませんが、相当出てます!
歴史が好きなので、大河ドラマはほぼ見ていますが、不思議なことにどの織田信長も名古屋弁を使っていません。
徳川家康に関しては、三河弁を使う時もあるし、使わない時もあります。
豊臣秀吉に関して言えば、クセの強い名古屋弁(尾張弁)を使う演出が多いです。
ですが、織田信長が名古屋弁を使う演出は記憶の中にありません。
その理由は何なのでしょうか。
もしかしてホントに織田信長は方言を使わなかったんじゃないの?
周りの人が訛ってて、その環境で育てば方言を使わないのは不自然だと思うけどね
この疑問について、考察してみました。
織田信長は名古屋弁を使ったのか
織田信長は、現在の愛知県西部である尾張の国で生まれています。
父親の織田信秀は地方領主ではありましたが、領地の民からさほど遠い存在になるほどの立場ではありません。
徳川家康のように幼少期に人質に出されて、他の土地で暮らした経験もないので、言葉は名古屋弁(尾張弁)を使っていたと考えるのが自然です。
織田信長の演出のモデル
大河ドラマや時代劇などで登場する織田信長は、名古屋弁を使う演出は見たことがありません。
なぜ信長は名古屋弁を使わない演出をされるのか、その理由を推察すると、シンプルに「かっこ悪い」からではないでしょうか。
方言として人気があれば、織田信長が使っても良かったのかも知れません。
ですが、愛知県の方言は人気ランキングでは9位です。
めちゃめちゃ下位ではないですが、人気が高いわけでもありません。
しかもイメージ的に、品のない方言と感じている人が多いらしいのです。
豊臣秀吉には思い切り方言を使わせる演出が多いのは、彼が百姓の出身だということを印象付けるためだと思います。
織田信長が名古屋弁を使わない演出をするためなのか、信長の側にいる武将たちも名古屋弁を使わない設定に演出されています。
言い伝えられている織田信長のイメージと名古屋弁は、あまりにもかけ離れているので、方言を使わない設定が定番になったのだと思われます。
織田信長だけではありません、伊達政宗も東北弁を使う演出はありません。
東北の方言は、いわゆるズーズー弁と呼ばれる強い訛りの印象があります。
オシャレな男性を表す伊達男の語源になったとも言われる伊達政宗なので、訛りを使わない演出にしたのではないでしょうか。
織田信長も伊達政宗も、ただ強いだけではなく、クールでカッコいい男のイメージを持っている人が多いので、それを壊さないためではないかと考察します。
織田信長の性格について
織田信長は「うつけ」と呼ばれていました。
うつけとは、空っぽという意味から転じて愚か者のことを表す言葉として使われていました。
なぜ信長がうつけと呼ばれたのか、色んなエピソードが残されているようですが、真実はわかりません。
気性が荒く短気だった一面は、ほんとにあったのかも知れません。
ただ、それ以上にすごく好奇心が旺盛だったというイメージがあります。
その理由は、とにかく新しいものが大好きだったからです。
新しいものをすんなりと受け入れるので、次々に新たなことに挑戦したのではないでしょうか。
異国の男性を部下として側に置いたり、外国からの宣教師にも面会します。
新しいものをどんどん取り入れるのは、保守的な考え方の人たちには疎ましがられます。
それがうつけと呼ばれ続けた理由ではないでしょうか。
まとめ
歴史ドラマで方言を使わせる演出をされるのは、土佐弁、薩摩弁です。
幕末を舞台にすると、記録も残っているので、その人物がどんな言葉を使っていたのか調べる手段があるのかも知れませんね。
リアリティを求めることも大切ですが、今さら織田信長に名古屋弁を使わせる演出は、遠慮していただきたいと思います。