大岡越前はどれほどすごい人だったのか!落語や歌舞伎で描かれる理由

落語の人

大岡越前という人物は、実在した人です。

ただ、時代劇の主人公や歌舞伎や落語に描かれる大岡越前は、史実をもとに脚色されたものです。

ですが、それほど多くの作品の題材になるくらいなので、すごい人だったはずです。

なぜ大岡越前は、多くの人の心を掴むのか、その理由を考察してみました。

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大岡越前といえば時代劇

大岡越前といえば、やはりテレビドラマで知った人が多いと思います。

TBSでは20年以上続いていました。

また同じく人気のある時代劇「暴れん坊将軍」の中にも、徳川吉宗が信頼する存在として登場します。

数えきれないほど多くの作品がありますが、やはりTBSの「大岡越前」は長寿番組でしたから、印象が強いのではないでしょうか。

このドラマでは、大岡越前が町奉行のときに裁いたとされる事件や争いごとを描く回も多くありました。

大岡越前には、大岡政談と呼ばれる有名なエピソードがありましたから、それを題材として脚本が書かれたのでしょう。

有名な大岡裁き

大岡越前は庶民のヒーロー的な存在として、歌舞伎や落語の題材になっています。

大岡政談の一つと言われる「三方一両損」をはじめ、「大工調べ」や「五貫裁き」「小間物屋政談」など、落語の演目に大岡越前は何度となく登場します。

大岡政談として語り継がれている有名な大岡裁きは他にもありますが、落語の演目になるのは、聞く人たちが「なるほど」と腑に落ちるような結末になるものばかりです。

しかし、ドラマのように毎回上手く決着がつくわけはないので、あくまでもフィクションとして描かれたものなんですよね。

たしかによく考えれば、庶民同士のケンカの仲裁などに、奉行のトップが毎回知恵を絞って丸く収めるなんて、あり得ませんからね。

なぜ大岡越前がヒーローとして、庶民に愛されたのか・・。

その理由は、彼が庶民の声を聞く人だったからだと推察します。

庶民の声を聞く力を持った政治家として、支持された理由がヒーロー像につながっていくのです。

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大岡越前の人気の理由

大岡越前がなぜ落語や歌舞伎に描かれるほど人気者だったのか。

その理由は、彼の2つに功績にあると思います。

江戸の防火体制

大岡越前が町奉行の職に就いた享保の時代は、江戸幕府の体制が揺るぎないものになり、江戸は世界トップクラスの人口密集地でした。

木造の長屋が密集していたのですから、火事になるとすぐに延焼して多くの人たちが焼け出されてしまいます。

そこで大岡越前は、火消組合を作って防火のための体制を整えます。

町火消組織をいろは四十七で組み分けしたのも、大岡越前のアイデアだったと伝えられています。

「め組」や「を組」など、火消しの組織を組に分けることで、管轄を割り振り、素早い消火活動ができるように整えたわけです。

人口密集地では、火事は大敵ですから、庶民にとって防火体制を整えてくれたお奉行さまは、ヒーローのように感じたのではないでしょうか。

貧困層の救済

大岡越前は八代将軍の徳川吉宗の時代に町奉行職になっています。

吉宗といえば、暴れん坊将軍でおなじみですよね。

吉宗は、紀州徳川家から将軍になった人物です。

暴れん坊将軍の中でも描かれていますが、徳川吉宗は「目安箱」という庶民の声を集めるためのポストのようなものを設置したと言われています。

そこには、庶民たちの切実な願いが届きます。

中でも貧困に苦しむ人たちが、病気やケガの治療費が払えずに亡くなっていく悲惨な状況を訴える声が多数届いたのです。

今では国民皆保険制度があり、医療を受けるハードルは下がりました。

しかし江戸時代は、貧しい人が病気になっても、薬を買うこともできなかったのです。

そこで大岡越前は、貧しい人たちが無料で治療を受けられる施設を設立します。

小石川療養所という施設は、幕府が運営するので、治療費はタダだったのです。

貧しさから治療を諦めるしかなかった人たちは、どれほど喜んだでしょうね。

ただし、小石川療養所の設立は大岡越前だけの功績ではなく、他の町奉行などとともに吉宗へ進言して決断を促したという立場だと推察されています。

まとめ

大岡越前の見事な裁きで胸がスカッとするのがヤミツキになり、ドラマを見続けていた人もいるので、「実際にはそんなことはなかったよ」と否定するのは野暮ですよね。

それほど庶民にとって、大岡越前という人は理想的な政治家だったと考えられるのです。

裕福な人たちのため、身分の高い人のためではなく、庶民のことを考えてくれた2つの功績はとても大きなことだったのではないでしょうか。

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