「マッチ売りの少女」のお話が伝えようとしていることは!

童話の人

「マッチ売りの少女」という童話は、有名なアンデルセンの作品です。

知らない人の方が少ないのではないでしょうか。

とても悲しいお話なので、私は子供の頃に読んだきりで、読み返したこともありません。

あまりに切なくて、心が苦しくなった記憶があるからです。

もしかしたら、私と同じように感じた人は、大人になって自分の子供たちには「マッチ売りの少女」は読み聞かせていないかも知れませんね。

アンデルセンの童話は、子供向けなのにもかかわらず、ストーリーがあまりに残酷なものが多いとして批判されることもあったようです。

「マッチ売りの少女」も、とても可哀想なお話なので、子供には少し受け止めにくいのかも知れません。

ただ、本質はもっと違うところにあるという点に、最近気が付きました。

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「マッチ売りの少女」のあらすじ

街中が賑やかになるクリスマスの夜。(大晦日という説もある)

みんな家へ急いでいます。

家に帰って家族とご馳走を食べて、楽しく過ごす夜ですから。

そんなクリスマスの街角で、寒さをこらえながら行き交う人にマッチを売っている少女が立っていました。

手袋もマフラーもせず、足は冷えてしもやけになり、真っ赤になっています。

少女のエプロンの中には、マッチの束がいくつも入っています。

「マッチはいりませんか」と小さな声で売っていますが、誰も足を止めてくれません。

そのうち街に行き交う人も少なくなってきました。

少女は家に帰ろうともせず、街角に立ち続けます。

マッチを全て売らなければ、家に帰っても父親からひどく叱られるからです。

叩かれるのが怖いので、少女は家に帰るのが嫌なのです。

少女は冷たい地面に座り込み、マッチを1本点けました。

すると湯気を上げる美味しそうなご馳走が目の前に現れました。

窓の外から見えたどの家のご馳走よりも、ずっと豪華でした。

しかしマッチの火が消えると、ご馳走も消えてしまいます。

また少女は1本点けました。

すると今度は見たこともないくらいの、美しいクリスマスツリーが現れます。

しかしそれもまた火が消えると、消えてなくなってしまいます。

また1本のマッチを点けたときに目の前に現れたのは、死んでしまったお祖母ちゃんでした。

少女にやさしくしてくれたお祖母ちゃん。

また火が消えるとお祖母ちゃんが消えてしまうのが怖くて、少女はマッチを束にして火を点けます。

お祖母ちゃんは笑顔で少女を抱きしめて、一緒に天国へ向かっていきました。

翌朝、少女が街角で冷たくなって亡くなっていた傍らに、マッチの燃えカスがたくさん残っていたのを見て、街の人たちは「きっとマッチで温まろうとしたんだな」と思いました。

可哀想なことだと手を合わせるのですが、少女の顔は微笑んでいました。

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「マッチ売りの少女」から見えること

思い出しても胸が苦しくなる内容です。

なぜこんな残酷なお話を童話として書いたのか、その真意はわかりません。

ですが、このお話にはいくつかの問題提議があり、それは今の社会にもあることだと考えるようになったのです。

ネグレスト

ネグレストとは、怠慢によって責任を投げ出すことです。

「マッチ売りの少女」では、少女の親は子供を育てるという責任を果たしていません。

お腹を空かせている、寒さに凍えているのに、マッチを売らせるために家から出しているのです。

しかもマッチが売れないと少女を叱ったり、叩いたりするのですから、親による自動虐待問題も含まれているのです。

児童労働

「マッチ売りの少女」には、少女にマッチを売らせる父親の存在はほとんど出てきません。

母親がいるのかどうか、親は働いているのかもわかりません。

ですが、寒いときに幼い子供にまともな防寒もせずにマッチを売り歩かせるという児童労働をさせるのはひどい親だと思うしかありません。

子供が労働力として必要とされるのは、今でも世界中にあるのは現実です。

日本でも、自営業者の子供が労働力になったりすることも。

また最近増えているのが、やングケアラーと呼ばれる子供たちです。

家族の介護や介助のために、勉強や部活動を諦める子供たちも増えています。

児童労働には、様々な社会背景があるとしても、マッチが売れなければ家に帰れないとまで思い詰めさせるのは悲惨な状況と考えるしかありません。

貧困問題

マッチを売るように親から命じられるくらいなので、きっと少女の家は貧しかったのでしょう。

グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」でも、極限の貧しさから子供を森へ捨てるという親の残酷さが描かれています。

日本は豊かな国だったので、そんなこと信じられずに、子供としては作り話として受け止めるしかないのですが、これからはわかりません。

貧困は人の心を蝕みます。

貧困が続けば、子供を愛する心も消えてしまうことがあるのかも知れません。

そういう状況を経験していない人には、理解できないことですが、貧困によって真っ先に犠牲になるのは弱い立場の子供たちなのではないでしょうか。

無関心

何より「マッチ売りの少女」で一番深刻なのは、人々の無関心です。

幼い少女が寒さに震えながらマッチを売り歩く姿を見ても、知らん顔をして通り過ぎる大人たち。

「寒いのに大丈夫?いったいどうしてマッチを売っているんだい?」

 

「家へきて温まりなさい」

 

「なぜ家に帰らずに外にいるのか、話を聞かせて?」

幼い少女がクリスマス(大晦日)に、寒さに凍えながらマッチを売りながら街角をウロウロしていたら、心配になって声をかける人がいてもおかしくないはずです。

しかし誰一人として、少女に対して声をかけてあげることはありません。

親から見放されただけじゃなく、大人たちは自分の事だけしか考えられない無関心な人間ばかり。

その無関心さが少女を死に追いやったのでしょう。

まとめ

子供の頃に読んだ「マッチ売りの少女」のお話があまりにツラかったのに、思い出してしまいました。

それは、現代にもマッチを売り歩くように家に帰れない子供たちが年の瀬に街をウロウロしているからです。

「どうしたの?」とか「大丈夫?」というひと言があれば、救える人がいるのでしょうね。

見て見ぬふりもダメですが、そもそも目に入らない無関心ほど恐ろしいものはないと思います。

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