子どもだって気が付いている「シンデレラ」のなかの矛盾点

童話の人

たぶん、世界中の女の子が幼い頃に一度は読み、そして憧れの感情を抱いたであろう童話といえば「シンデレラ」ではないでしょうか。

しかしこの童話は、じつはツッコミどころ満載というか、子供でも「え?」と思うような矛盾点がいくつかあるのです。

もしも子供に「ねえ、どうして?」と聞かれたときにどう答えればいいのか困った方も多いのではないでしょうか。

そこで、シンデレラの矛盾点についてどう解釈すればいいのか考えてみました。

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シンデレラの矛盾点

シンデレラは裕福な家のお嬢様だったのですが、母親が亡くなったあとに父親が再婚した後妻と連れ子の娘2人にひどい扱いを受けて召使のように働かされて暮らしてます。

そんな可哀そうな境遇のシンデレラに同情してしまいます。

ですが、お城で王子様がお妃選びをするための舞踏会が開かれることで、シンデレラの運命が動き出すわけです。

言わずと知れた童話なので、あらすじは割愛します。

では、矛盾点をみていきましょう。

ガラスの靴の矛盾

シンデレラの物語を象徴するのがガラスの靴です。

シンデレラは魔法使いのおかげで、美しいドレスを身にまとって、カボチャの馬車に乗ってお城に向かいます。

どこから見ても、隙のないご令嬢にしか見えないわけですが、これは魔法が効いている間だけです。

約束の時間を過ぎると、魔法はとけてしまいます。

ドレスは普段着ているボロボロの洋服になるし、馬車もカボチャに戻ります。

時間ギリギリになって慌ててお城から帰るシンデレラは、片方の靴が脱げてしまいます。

しかし、不思議なことにガラスの靴はそのままなのですよね。

この矛盾は、子供でも気が付きます。

ガラスの靴は魔法じゃなかったのか?という疑問が残るのです。

この疑問を考えたときに、納得するためにはガラスの靴だけは魔法使いがプレゼントしたのだと思い込もうとした記憶があります。

この疑問に対しては、色んな考察があります。

有力なのは、ガラスの靴だけは新しい靴として魔法使いが作ったという説です。

ドレスや馬車などは、物に魔法をかけて変えているのですが、靴は魔法で作ったものなので、時間が過ぎても変わらずにそのままだったと考えるのが自然でしょう。

置いてきてしまった靴も、シンデレラの手元にある靴も、どちらもガラスのままということは、元に戻る魔法で作ったものではないと解釈するのが妥当なのでしょうね。

王子様の記憶力

シンデレラのことが忘れられない王子様は、片方だけのガラスの靴にピッタリの足の女性を探すように命じます。

でも、ここで疑問が・・・。

もしもシンデレラではない人が、ガラスの靴ピッタリの足だったとしたらどうなるでしょう。

シンデレラの足のサイズが極端に小さかったという説があるので、ガラスの靴を履ける女性はほとんどいなかったのだと考察します。

だとすれば、わざわざ時間をかけて靴に合う足の女性を探す手間は省けたはずです。

靴のサイズをはかって、その足の大きさの女性だけをお城に集めて顔を見れば一発です。

なぜそうしなかったのか・・。

でも、もしもその方法で探していれば、召使のようにこき使われていたシンデレラがお城に行くことは叶わなかったでしょうね。

物語をハッピーエンドに導くためには、王子様がまわりくどい方法でシンデレラを探す必要があったわけです。

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シンデレラの父親の存在

これは私だけかも知れませんが、子どものころにはじめてシンデレラのお話を知った時に感じたのが父親のことです。

父親は再婚した後に死んだという設定になっている話もあります。

やはりそれほど父親がシンデレラに対する継母たちの仕打ちを見て見ぬふりすることに対する反発は、何度か問題になったのだと考えられます。

子供に読み聞かせる物語なので、原作よりも受け入れやすい設定にアレンジしたものが多いのだと思います。

父親は家の中のことや娘のことには興味がなく、後妻にまかせっきりでシンデレラのことは放置しています。

この背景には、シンデレラが母親とそっくりだったため、亡くなった妻のことを思い出すのがツラいから近寄らなかったという説もあります。

シンデレラが幸せになったから救われますが、そうでなければ後味悪すぎです。

まとめ

シンデレラの継母は、実の娘の足を無理やりガラスの靴に合わせようとして、足を切ろうとするほど非道な人間に描いた作品もあります。

きっと原作や、その起源になったお話はもっとエゲツナイ内容だったのではないでしょうか。

子どもたちの夢を壊さないようにするためには、大幅なアレンジも致し方ないのかも知れませんね。

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