「アリとキリギリス」という童話は、イソップ寓話のひとつです。
子どもに読み聞かせするのに適した童話として、古くから愛されていますよね。
はたらき者のアリさんと
なまけ者のキリギリスさん
キリギリスは
遊んでばかりだもんね
わかりやすい対比なので、子どもにも理解しやすいお話です。
ですが、このお話を大人になってから読み返すと、違う視点で考えることもあります。
その点について、考察してみましょう。
「アリとキリギリス」のあらすじ
夏の草原で楽しそうに歌をうたっているキリギリス。
そこに食べ物を背負って汗をダラダラ流しながら歩くアリたち・・。
キリギリスはアリたちに聞きました。
「なあアリさんたち、どうしてこんなに暑い日に食べ物を背負って歩いているんだい?」
アリたちはこう答えました。
「食べ物を家に運んでいるんですよ」
キリギリスは不思議そうに
「こんなに沢山の食べ物があるのに、どうして家に運ぶんだい?」
アリたちは
「今は夏だから食べ物が沢山あるけど、冬になると食べるものがなくなってしまうでしょう。だから今のうちに食べ物を集めているんですよ」と答えました。
キリギリスは笑いながら言いました。
「そんなの冬になってから考えればいいじゃないか。今は食べ物にも困らないのだから、楽しく歌ったり踊ったりして過ごした方がいいじゃないか」と。
アリたちは、それでも一生懸命に食べ物を運びました。
やがて秋がきて、少しずつ食べ物が少なくなってきましたが、それでもまだキリギリスは歌って過ごしていました。
そして寒い冬になると、とうとう食べ物がなくなってしまいます。
「お腹が空いたな・・」とキリギリスは困っていましたが、誰も助けてくれません。
そのとき、アリたちが食べ物を集めていたのを思い出したのです。
キリギリスは食べ物を分けてもらおうとアリたちの家に行きます。
でもアリたちは「だからそう言ったじゃないか。自分たちの食べるものしか集めていないから、分けてあげられないよ」と断ります。
キリギリスは寒さと飢えに耐えられなくなって死んでしまいました。
キリギリスは間違っているのか
この童話は、先のことを考えて真面目にコツコツと働くものが正しいと伝えていますよね。
夏の間に遊んでいて、先のなんて考えずに「その時考えればいい」という行き当たりばったりなものが最後は泣くことになるという教えです。
たしかにそれはそうなのですが、キリギリスのような生き方が全否定されるのは、ちょっと違和感をおぼえる人もいると思います。
アリたちのような堅実な生き方はもちろん素晴らしいのですが、楽しむ時と働く時のメリハリが必要だったのではないでしょうか。
アリたちは冬になると家の中でおとなしくしているのか、それとも仲間たちと楽しく過ごしているのか描かれていません。
死んでしまっては元も子もないので、キリギリスももう少し早く気が付けばよかったのでしょうが、楽しい夏に思い切り楽しく遊んで過ごしたのなら悔いは残らないのかも知れませんよ。
人間の社会に置き換えてみると、アリとキリギリスの生き方を比べて、どちらが魅力的なのか考えると答えに困るのではないでしょうか。
結末はアレンジされている
「アリとキリギリス」の結末は、夏の間に遊んでばかりいたキリギリスは死んでしまうのですが、それはあまりにも残酷であり、救いがないということで、子供向けの絵本ではアレンジされています。
アリはキリギリスに食べ物を分け与え、キリギリスはアリのやさしさに感謝をし、自分の行いを反省して心を入れ替えて真面目に働くようになったという感じのアレンジが目立ちます。
全てが丸く収まりますよね。
これでは教訓として弱い気もしますが、最後はキリギリスを救うアリたちのようにやさしくなりなさいということなのでしょう。
子供たちがこの結末の「アリとキリギリス」を読むと、どういう感じ方をするのかとても興味があります。
大人とは違う感想を持ちそうですよね。
まとめ
幼い頃に「アリとキリギリス」の童話を読んだときのことを思い出すと、自分自身はアリの生き方を選ぶ子供でした。
今でも派手に豪遊したり、無計画に買い物することもなく暮らしています。
ただ、時々つまらない人生だな・・と思ってしまうこともあるので、キリギリス的な生き方に憧れる気持ちがあるのもホントです。
アリが正しく、キリギリスが間違いと決めつけられなくなるのは、様々な経験をして、色んな人を見てきたから。
そうやって大人になったからではないかと考えています。