「赤ずきん」と「オオカミと7匹の子ヤギ」は、世界中で読まれている童話です。
どちらもオオカミが悪者なのはおなじみの内容です。
しかし、あまりに結末がかぶっていると思いませんか?
なぜ結末がほとんど同じと言えるほど似ているのか、考えてみれば不思議です。
そのせいで、どちらのお話だったのか思い出してもわからなくなることがあります。
いったいなぜ同じような結末になったのか、考察してみました。
「赤ずきん」のあらすじ
赤ずきんちゃんは、おばあさんの家におつかいに行くように母親に頼まれます。
家を出るときに母親から「寄り道をせずにまっすぐ向かうんですよ」と言われます。
森を抜けておばあさんの家を向かおうとすると、オオカミに出会います。
オオカミは赤ずきんちゃんに話しかけます。
「おばあさんのところに行くのなら、森に咲いている花を摘んで持っていけば喜ぶと思うよ」と。
「それはいいわね」と赤ずきんちゃんはお母さんから言われたことを忘れて、道草をしてしまいます。
赤ずきんちゃんがお花を摘んでいる間に、オオカミは先回りしておばあさんの家に行き、おばあさんを食べてしまいました。
おばあさんが食べられてしまったとも知らずに赤ずきんちゃんが訪ねると、おばあさんに変装したオオカミがベッドの中で待っていました。
おばあさんに化けたオオカミに赤ずきんちゃんは話しかけます。
「おばあさんの耳はなぜ大きいの?」
オオカミは「お前の声をよく聞くためだよ」と答えます。
「どうしてそんなに目が大きいの?」
オオカミは「お前をよく見るためだよ」と答えます。
「どうしてそんなに大きなお口なの?」
オオカミはついに正体をあらわします。
「お前を食べるためだよ」と言って赤ずきんちゃんを食べてしまいました。
おばあさんと赤ずきんちゃんを食べて満腹になり、眠くなったオオカミがそのまま眠っていると、そこに猟師が通りかかります。
オオカミが大きく膨れたお腹で眠っているのを見て、おばあさんを食べたことに気付き、その場でオオカミのお腹をハサミで切って赤ずきんちゃんとおばあさんを救い出します。
そしてお腹に石をつめて糸で縫い付けておきました。
目が覚めたオオカミは、喉が渇いていたので、森の池に向かいますが、お腹が重すぎで上手く立てません。
水を飲もうとしてバランスを崩して池の中に落ちてしまいました。
無事に救い出された赤ずきんちゃんは、自分がお母さんの言いつけを守らずに寄り道したことを反省したのでした。
「オオカミと7匹の子ヤギ」のあらすじ
7匹の子ヤギのお母さんヤギは、子供たちに留守番を頼んで外出することになりました。
子ヤギたちに、留守の間に誰が来てもドアを開けてはいけないと言い聞かせます。
「外にはオオカミがいるからね、絶対に開けてはいけないよ」と念を押して出かけていきました。
それを見ていたオオカミは、子ヤギたちだけで留守番している家のドアをノックします。
そして「お母さんだよ、開けておくれ」と声をかけます。
しかし子ヤギたちは開けません。
「お母さんはそんなガラガラ声じゃないから、開けないよ」と。
オオカミは声がキレイになるチョークを食べてから、またヤギの家を訪ねます。
「子供たち、お母さんだよ。開けておくれ」と。
しかし、窓にかけた前足は真っ黒で、お母さんではないとすぐに見抜いた子ヤギたち。
「お母さんはそんな真っ黒な足じゃないよ」と言い返して、開けませんでした。
オオカミは前足にたっぷりと小麦粉をふりかけて、またヤギの家へ向かいます。
「お母さんが戻ったよ、開けておくれ」と。
お母さんと同じ白い足を見て、今度は間違いなくお母さんだと思った子ヤギたちはドアを開けてしまいました。
するとそこにいたのはオオカミです。
慌てて家のあちこちに隠れますが、オオカミは次々に子ヤギを見つけて食べてしまいました。
しかし末っ子の子ヤギだけは時計の柱に隠れて見つからなかったため、助かったのです。
その時、戻ってきた母ヤギは子供たちの姿が消えていて驚きます。
末っ子子ヤギが「お母さん、ぼくはここにいるよ」という声で時計に隠れた末っ子を見つけてオオカミに襲われたことを知り、悲しみます。
しかし、家の外を見ると満腹になったオオカミが、池のほとりで昼寝をしていました。
膨れたお腹がモゴモゴと動く様子を見て、お腹の中で子ヤギたちが生きていると気が付いたのです。
すぐにハサミでオオカミのお腹を切ると、子ヤギたちが次々に飛び出してきました。
母ヤギは子ヤギたちに石を集めさせ、オオカミのお腹に石を詰めて糸で縫い付けました。
目が覚めたオオカミが池の水を飲もうとすると、お腹の重みで池に落ちて沈んでしまいました。
2つの童話の結末について
「赤ずきん」と「オオカミと7匹の子ヤギ」は、どちらもグリム童話に収録されています。
ですが、どちらのお話もグリム兄弟が作者というわけではないのです。
古く伝わっている童話をアレンジして、その時代の子供たちに喜ばれるように変更したり、加筆したりしているのです。
グリム童話が世界中の子供たちに読まれるようになったので、そのあらすじ以外は知られていません。
しかし「赤ずきん」は赤ずきんが食べられて終わりだったという説もあります。
「オオカミと7匹の子ヤギ」は、もともとアジア(中国説がある)の民話がヨーロッパでアレンジされて、グリム兄弟によって現在のようなあらすじになったと言われています。
つまり、グリム兄弟が活躍していた時代1810年ごろは、オオカミに食べられても、知恵を使えば助かるという筋書きが子供たちにウケたのではないでしょうか。
そしてお腹に石を詰められて、池に落ちて沈んでしまうという結末も、子供たちが悪者をやっつける話が好きだったからだと思います。
それは日本の昔話でも同じですね。
2つの物語の結末が激似しているのは、その時代の童話に求められていたことを反映させたのではないでしょうか。
まとめ
「赤ずきん」と「オオカミと7匹の子ヤギ」の童話がごちゃ混ぜになる人は、きっと結末がほとんど同じことが原因ではないでしょうか。
インパクトの強い結末なので、記憶に残りやすいのです。
それがどちらもグリム童話に入っていれば、混乱するのは仕方ないですよね。