【髪結いの亭主】は妻に養われるヒモ夫の代名詞になっている理由!

落語の人

髪結いとは、現代の職業に置き換えると、美容師です。

女性の髪を結う専門職ということでしょう。

今のように国家資格が必要ではないとしても、技術がなければ髪結いとして生きることはできません。

つまり、女性の髪を結う専門職「女髪結い」は、江戸時代には珍しく、手に職を持つ女性ということなのでしょう。

男性の髪を整える職人よりも、女性の髪を整える職人の方が、はるかに稼ぎが良かったとも言われているので、髪結いの奥さんがいる夫は、働かなくても生活に困らなかったのかも知れません。

「髪結いの亭主」とは、そういう背景から言われるようになったのでしょうが、ほんとにそんなに稼げる職業だったのでしょうか。

「髪結いの亭主」の語源を探るために、髪結いの歴史を掘り下げてみました。

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髪結いの男女格差

男性の髪は、自分で整えることが難しいため、定期的に床屋を利用する人が多かったようです。

江戸時代の男性は、武士だけじゃなく町人なども月代(さかやき)に髷(まげ)が主流でした。

月代をキレイに剃るのは、自分では難しいため、床屋に行くか髪結いを家に呼んで手入れしていました。

一方の女性の髪ですが、自分で髪を結わえるのは、女のたしなみとされていました。

ですが、それはシンプルな髪型だから可能なのです。

江戸時代の中期ごろには、女性の髪形がどんどん派手になり、自分では結えないほど高度なテクニックが必要になってきます。

裕福な家の女性たちは、流行の髪型を競うようになったため、幕府から女性の髪形を地味にするようにお達しを出したこともあったのです。

しかし、いつの時代も女性の美への欲望はとどまることを知らず、女髪結いという職業は、稼げる仕事となっていきます。

男性の散髪代の6倍ほどの料金だったと言いますから、女髪結いは腕一本で稼げる職業だったのではないでしょうか。

「髪結いの亭主」はヒモの代名詞

「髪結いの亭主」という言葉は、江戸時代に生まれたと考えられます。

今の時代でも社会では男女格差が大きいのですが、江戸時代から見ればくらべものにもならないでしょう。

とにかく女性が収入を得る手段がとても少なく、女性の専門職と呼べるのは産婆(助産師)か髪結いくらいだったのです。

腕の良い女髪結いになれば、お得意様が外出する先にまで同行して、髪が乱れたらすぐに整えられるようについていたとか。

まるで女優やモデルの撮影中に度々ヘアメイクを直すようなものですね。

女髪結いの収入は、個人差が大きかったそうですが、腕次第で男性以上の稼ぎを得ることは可能だったのです。

ですが、忙しいので婚期を逃してしまう女髪結いも多く、年増になってからの縁談話を受けることもあったとか。

相手が年下だったり、稼ぎが少なかったり・・。

結婚しても妻の収入をあてにして、真面目に仕事もしないケースが少なからずあったのででしょう。

いつの日か「髪結いの亭主」は妻の養われるヒモ夫というイメージが定着してしまったのです。

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落語「厩火事」から見えること

古典落語の「厩火事」は、女髪結いと髪結いの亭主のことを描いています。

髪結いの女房の稼ぎで遊んで暮らす夫の愛情を確かめるために、夫が大切にしている茶碗を割るのです。

もしも夫が割れた茶碗の欠片で妻がケガしていないか心配したのなら、愛情はあるということ。

もしも妻のケガよりも、茶碗を割ったことを怒ったのなら愛情はないということ。

結果は・・・

「おい、大丈夫か?ケガはしていないか?」と妻を心配したのです。

喜ぶ女房ですが、夫はこう言います。

「もしもお前が指でもケガして稼げなくなったら、俺が遊んで暮らせないだろ」と。

どうしようもないクズ男のように感じますが、女髪結いとして忙しく働き、男以上に稼ぐ女性には、そういうダメな男が寄り付くのではないでしょうか。

それはきっと、今の時代にも重なるところはあると思います。

まとめ

「髪結いの亭主」は妻の稼ぎで養われるヒモ夫の代名詞になったのは、女性が男以上に収入を得ることが難しい時代だからこそ目立ったからだと考えます。

家事も育児も全て一人で行うワンオペが当たり前だったのに、夫が稼げなっても妻が収入を得る方法がほとんどなかったのです。

そう考えると、女髪結いは女性たちの憧れの職業だったのかも知れませんね。

 

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