古典落語の「三枚起請」をご存じでしょうか。
江戸の吉原や品川に遊郭があった時代を舞台にした噺です。
もともとは上方の話だったのですが、関東の落語家たちによって、江戸の話にアレンジされています。
つまり廓話と呼ばれるジャンルに分類されるわけです。
今回の疑問は、「三枚起請」に欠かせない起請文とか起請誓紙と呼ばれる文書についてです。
起請文という文書が、今でも存在するのか・・。
また、それに代わるものがあるのか。
「三枚起請」を参考に考えてみました。
「三枚起請」のあらすじ
古典落語の「三枚起請」のあらすじを簡単にご紹介します。
大工のAのところに、近所に住むBが呼ばれて訪ねてきます。
Bは遊郭に入り浸り、ろくに働きもせずに母親を困らせていて、相談を受けて説教しようと呼び出したのです。
Aは遊郭通いをほどほどにして、仕事をきちんとして嫁を迎えて母親を安心させるように言い聞かせます。
しかしBはこう言い返すのです。
「いやいやAさん、私はちゃんと将来を約束している相手がいるから」といって懐から起請文を出して見せたのです。
そこに書かれていたのは、遊郭の年季が明けたら一緒になろうという約束事と喜瀬川という遊女の名前でした。
年季が明けるとは、遊郭では借金分の働きを終えたということです。
晴れて自由の身になったら、夫婦になろうという文言が熊野神社の護符の裏に起請文として書かれていたのです。
つまり男Bは、ただ遊郭に入り浸っているわけではなく、将来を約束している人のところに会いに行っているのだと自慢気にAに話したのです。
ところが、その起請文をじっと見つめて固まってしまった男Aは濃い言いました。
「こんな起請文がそんなに大事か?こんなもの、同じものを俺だって持ってるぞ」と言って、全く同じことが書かれた起請文を男Bに叩きつけたのです。
AもBも同じ喜瀬川という遊女に起請文を渡されて、いつか一緒になれると信じていたわけです。
Aに至っては、何年も前からずっと待っているのです。
すっかり中年になり、周りから所帯を持つようにすすめられても断り続けてきたのに・・。
2人の男が喜瀬川という遊女に騙されたことを怒り嘆いていると、そこへもう一人の男Cが入ってきました。
「ちょっと通りがかりに聞こえてしまったんだが、もしかしてお二人さんが持っている起請文はこれと同じかい?」と懐から出したのは、喜瀬川が書いたものだったのです。
3人の男たちは、騙された相手を懲らしめようと作戦を練り、何とか喜瀬川を呼び出すことに成功するのですが・・・。
熊野神社の護符に書いた起請文で人を騙すなんて、酷い罰当たりだと責め立てます。
熊野神社はカラスが神の使いとされていますから、「起請文に嘘を書くと熊野のカラスが3羽死ぬと言われているだろ」と詰め寄ります。
しかし喜瀬川は「それならもっと起請文を書いてカラスがいなくなればいい」と言い返すのです。
「だって朝からカラスが鳴いて、うるさくて朝寝ができないだろ」と。
「三千世界のカラスを殺し ぬしと朝寝がしてみたい」という都々逸で返したというサゲでした。
起請文の効力とは
「三枚起請」は江戸時代後期から明治時代の初期の時代背景です。
その時代には、起請文を遊女がお客をつなぎとめるためのツールとして使っていたと言われています。
しかし、もともとは戦国大名などが大切な誓約をするために使っていたのが起請文、起請誓紙と言われるものです。
現代のように、明確で統一的な法律がなかった時代には、ただ書面に書いただけでは簡単に裏切られることもあったのでしょう。
お互いの信頼を表すために、神仏に授かった護符の裏に証文を書き、血判をして渡すという方法で同盟を組んだりしたのです。
神仏に対する人々の気持ちが現代とは比べ物にならない時代なので、それは効力として十分だったのではないでしょうか。
起請文に代わるものは
起請文は今の時代に使う人は滅多にいないでしょう。
落語に出てくる喜瀬川じゃないですが、何の効力もないからです。
神仏に対する気持ちが強い人は、罪悪感はあったとしても、それで罰せられるわけじゃないとわかっているからです。
今の時代では、内容証明や公正証書がそれに代わるのではないかと思います。
起請文のそもそもの使い方を考えると、公正証書の方が当てはまると思います。
とはいえ、将来の結婚の約束を公正証書作成する人はいないでしょうけどね。
まとめ
起請文として、大切な人に約束事を書いて渡すのは、それはそれでアリかも知れませんね。
自分の気持ちを伝えるのにも使えると思います。
ただ、神仏の護符の裏に書くのですから、受け取る方もかなり重く感じるでしょうから、渡す相手の気持ちも考えないとドン引きされる恐れもあるので、よく考えましょう。