落語の演目に「代書屋」というのがあります。
「代書」と呼ぶこともありますが、お話の内容は同じです。
「代書屋」とは、代わりに文書を作成する仕事のことです。
今では読み書きのできない人はとても少ないですが、教育制度が定められるまでは字が読めない人、書けない人もいたのでしょう。
当たり前に学校に通えるようになってしまえば、代書屋なんて必要なくなるので、今では落語の中に出てくるような代書屋を見かけることはありません。
いつ頃までは存在したのでしょうね。
落語の中に出てくる仕事の中でも、興味を引かれた「代書屋」について掘り下げてみました。
落語「代書屋」のあらすじ
落語の演目「代書屋」は、無筆(字の読み書きができないこと)の男性が、履歴書の作成のために代書屋に訪れるところから始まります。
履歴書には、氏名、住所、生年月日、職歴などが必要項目です。
代書屋が依頼人の男性に住所や氏名、生年月日などを質問するのですが、まったくまともな答えが返ってきません。
生年月日を聞いても「そういうものは持っていない」とか、氏名を聞いても「たしかオヤジが死ぬときに言っていたのが・・」など、変な答えばかりで代書屋を困らせます。
代書屋と無筆の男のかみ合わないやり取りがとても面白く、好きな人も多い演目です。
代筆と代書の違い
読み書きのできない人が多かった時代でも、役所に提出するような文書が必要な場合があったはずです。
代書屋という職業が成り立っていたのは、今のように識字率ほぼ100%ではなかったからなのは間違いありません。
しかし、代書屋に依頼すれば料金が発生します。
公的な文書の場合は仕方ないとしても、ちょっとした手紙などはご近所の人に代筆をお願いするのが一般的だったようです。
代筆を頼まれた人は、口述をそのまま文字にして書く程度のことだったため、謝礼を要求するようなこともなかったと考えられます。
つまり、代書と代筆の違いは料金が発生するかどうかがポイントなのですね。
代書屋はいつまで存在したのか
落語の「代書屋」という演目は、昭和の初期に活躍していた上方の噺家が作った新作落語です。
昭和14年(1939年)に初めて演じられたという記録があります。
代書業の経験から作った演目と言われていますから、昭和の初期にはまだ代書屋という職業が存在していたということになります。
ですが、ここである疑問にぶつかりました。
じつは日本は江戸時代から識字率がとても高かったのではないか?という話を聞いたことがあるからです。
戦後の日本の復興と発展のためには、識字率を高める必要があると考えたGHQですが、戦後間もない昭和23年の調査結果では、読み書きができないのは約2%程度だったのです。
義務教育の制度もなかったのに、なぜそんなに識字率が高かったのか不思議です。
しかも、江戸時代でさえ庶民の50%ほどが読み書きができたとか。
なぜなのか不思議ですよね。
ただ、時代劇好きの私は1つ思い当たることがありました。
江戸時代には今の新聞や雑誌のような、かわら版という読み物が人気でした。
読み書きができない人のために、イラストも描かれていたようですが、詳しい内容は文字を読まないと理解できません。
「読みたい」と思わせるような文化が、庶民の中にすでにあったのでしょう。
寺子屋に庶民の子供が通い、読み書きを学んでいたのは江戸時代のことです。
その当時からすでに識字率は高かったのに、なぜ昭和の初期まで代書業が存在したのか、謎は残ります。
今の時代の代書屋とは
落語の「代書屋」のイメージがあるので、なぜ識字率が高かったのに、昭和の時代まで代書業が存在したのか不思議だったのですが、行政書士や司法書士の制度がしっかり定められていなかったからだとわかりました。
公文書を作成する行政書士、法的な文書を作成する司法書士になるための法整備が整っていなかったことが理由だと考えられます。
代書人は、役所に提出するような文書に限らず、読み書きの苦手な人のための代書まで幅広く受けていたのではないでしょうか。
つまり、今の時代の代書屋さんは行政書士だと考えれば、スッキリしました。
まとめ
落語の「代書屋」という演目は、誰もが文字を読み書きできるのが当たり前の時代だからこそ面白いのですよね。
笑えるように作られているので当然なのですが、読み書きができない人の代わりに公的な書類を作成する仕事は想像以上に大変なことだったのではないでしょうか。
きっとかみ合わないやり取りをしながら、苦労した代書屋さんも多かったのだと思います。