老若男女とわず、幅広い世代に知られている「さるかに合戦」という昔話。
自分自身で読んだことがなくても、ほとんどの人があらすじを知っていると思います。
じつはこの「さるかに合戦」というお話は、題名や内容が変わりつつあることをご存知でしょうか。
小さいお子さんやお孫さんがいるパパ、ママ、おじいちゃん、おばあちゃんは知っているかも知れませんね。
なんと、このお話が子供に悪影響を与えるかも知れないからということで、題名から内容までアレンジされているようなのです。
幼い頃に読み聞かされてきた今の大人たちは、悪影響を受けてしまったのか?と疑問を持ちますよね。
いったいどういうことなのでしょうか。
「さるかに合戦」のあらすじ
カニがにぎり飯を持って歩いていました。
これからにぎり飯を食べようとしていたところに、サルが話しかけてきました。
「この柿の種とそのにぎり飯を交換しよう」と持ち掛けます。
カニは断りますが、サルが言葉巧みにカニを説得します。
「にぎり飯は食べてしまえばそれでおしまい。でも柿の種を植えて育てれば、柿の実をたくさん食べられるじゃないか」と。
カニはだんだんその気になり、ついにはにぎり飯を柿の種と交換しました。
カニはさっそく柿の種を植えます。
「早く芽を出せ柿の種。出さぬとハサミでちょん切るぞ!」と歌いながら柿の成長を待ちます。
やっと柿が実をつけたころに、サルがカニのところにやってきます。
サルはカニに「柿の実をとってあげよう」と言い、柿の木に登って実をとると、木の上で美味しそうに食べ始めました。
カニは「おいおい、私にも柿の実をおくれよ」と言うと、サルはまだ熟していない青い柿をとって勢いよく投げました。
熟れていないかたい柿の実がカニを直撃してしまい、カニは死んでしまったのです。
カニには子供たちがいて、親カニの敵討ちをしようと考えます。
そこへいつもサルに意地悪されている臼と蜂と栗と牛糞が、味方をしてくれることになりました。
カニの子供たちと臼、蜂、栗、牛糞は作戦を練ります。
そしていよいよ作戦を実行する日になりました。
サルが留守の間に家に忍び込み、栗は囲炉裏の中に隠れます。
蜂は水瓶の中に隠れ、牛糞は土間に隠れ、臼は屋根に隠れました。
そこへサルが戻ってきます。
囲炉裏にあたって温まろうとしたとき、栗がパチっと音を立てて飛んでサルの体にあたりました。
熱々になった栗の体当たりで火傷をしたサルは、慌てて水で冷やそうとしますが、そこに隠れていた蜂の直撃で刺されます。
痛みにビックリして慌てて走り出そうとしたときに、土間に隠れていた牛糞で滑って転んでしまいます。
そこに屋根に潜んでいた臼がドスンと落ちてきて、サルは死にました。
カニの子たちは、見事に親ガニの敵討ちを果たしたのでした。
「さるかに合戦」の変化
「さるかに合戦」のお話は、じつは少しずつ変化しています。
一番大きな変化は題名です。
題名が???
合戦というのは、子供たちにいい影響を与えないとして、「さるかにばなし」という題名になっている絵本があるのです。
さらに、サルに柿の実をぶつけられて死んでしまったはずの親カニは、ケガをしただけで生きている。
また、最後に敵討ちをされて死んでしまうはずのサルも、ケガはするものの生きているという設定に変化しているのです。
そして結末は、サルが今までの自分を反省し、カニたちに謝罪をしてみんなで仲良く柿を食べる。
そんな終わり方に変化しつつあるのです。
この変化の理由は、子供たちへ報復が正当化される物語による影響を考えたからなのでしょう。
「さるかに合戦」の矛盾
「さるかに合戦」から「さるかにばなし」に変わっていくのは、時代の流れとしては仕方ないのかも知れません。
カニやサルが死んでしまう結末も、たしかに子供には刺激が強すぎると感じる人もいると思います。
さらには、牛糞が不潔だからということでカニの味方をする仲間から、牛糞が排除される設定もあるそうなのですよ。
どんどん変化してしまいますね。
それよりも、ツッコミどころが他にもあると思うのですが、子供向けの民話がもとになっているので、そこには触れられないのです。
ツッコミどころとは、臼、栗が擬人化していることです。
臼や栗や蜂、牛糞がサルに困っていたという裏設定については、ほとんどスルーされています。
たしかにサルはズルくて意地悪なのでしょうが、最後の敵討ちは寄ってたかってサルを集団で傷めつけるというは、その根本の設定自体が子供には刺激が強そうな気がしますね。
まとめ
「さるかに合戦」が子供に読み聞かせる昔話としてふさわしくないと考える点は、あるのかも知れません。
これは「さるかに合戦」に限ったことではなく、昔話にはよくあることのようです。
他の昔話も、知らないうちに内容が変えられていたのに、気が付いていなかっただけということも。
まあ、「さるかに合戦」のように数十年の間に題名から結末まで変わる作品は、なかなか珍しいのではないでしょうか。