「貧乏人と金持ち」という童話が伝えること!裕福になる人の心理

童話の人

グリム童話の「貧乏人と金持ち」は、日本の昔話にもよくある「貧乏だけれど心やさしい人」と「金持ちだけれど心が狭い人」が登場するお話です。

ですが、日本の昔話とは少し違います。

どんなところが違うの?

それをこれから一緒にみていきましょう。

はーい

では「貧乏人と金持ち」のお話のあらすじからチェックしてみましょう。

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「貧乏人と金持ち」のあらすじ

神様は旅をしていました。

その日は宿のある町に着く前に暗くなってしまいました。

疲れていた神様の目には、向かい合って建っている2つの家が見えました。

今夜だけ泊まらせてもらおうと、神様は2つの家のほうに向かいました。

2つの家は、見るからに対照的でした。

大きくて裕福そうな家と小さくて貧しそうな家です。

神様は考えました。

裕福な家であれば、負担にならないだろうと。

そして大きな家の扉をたたきました。

家の主人に「一晩だけ泊めて欲しいのだが」とお願いしました。

しかし大きな家の主人は旅人にこう言いました。

「ダメだよ、この家には食べ物や種がたくさんあるんだ。泊めて欲しいという人を家に入れてしまえばキリがない。そのうち私が物乞いをするようになってしまうだろう」と冷たく言って扉を閉めました。

神様はその場から去り、向かいにある小さな家の戸をたたきました。

すると小さな家の住人の男は、すぐに旅人を家に招き入れました。

見るからに貧しい暮らしをしているその家の夫婦は、旅人に精一杯のもてなしをしました。

豊かな暮らしをしているわけではなくても、心のこもった料理を食べる夕食はとても楽しい時間になりました。

すると夫婦はこんなことを考えます。

疲れているであろう旅人に自分たちのベッドを譲ろうと。

自分たちは干し草の上に寝ようと考えたのです。

旅人はさすがにそれは断ろうとしたのですが、夫婦は頑として譲りません。

神様は夫婦に感謝しながらベッドでゆっくりと休むことができました。

翌朝も夫婦は心のこもった朝食を用意してくれて、旅人を二人そろって見送りました。

神様は旅立つときに夫婦に言います。

「あなたたちのような心やさしい人の願いを私は叶えたい。3つの願いを叶えよう」と。

貧しい男は「私の願いは毎日幸せでいることです。そして夫婦が健康で日々のパンに困ることなく生きていけることです。3つ目は、何を願ったらいいのか思いつきません」と言いました。

すると神様は「この古い家を新しい家に変えたらどうだろう」というと男は「それはありがたい」と受け入れたのでさっそく新しい家に変えて旅立ちました。

その朝、大きな家の主人は向かいに新しくて立派な家が建っているのを見て驚きます。

昨日までは小さな貧乏人の家があったはずの場所に、新しくて立派な家が建っているのですから。

どうしてそうなったのか、妻に事情を聞きに行かせました。

妻が向かいの家の夫婦から聞いた話を聞き終えると、大きな家の金持ち男は激しく後悔します。

妻は夫から旅人を追い返してしまった話を聞くと「今からでも後を追って3つの願いを叶えてもらいましょうよ」と言うと、馬の準備をします。

「そうだな、まだ間に合うかも知れない」と馬にまたがると旅人が向かった方向へ馬を走らせました。

ほどなく旅人に追いつくと呼び止めます。

昨夜のことを取り繕い、言い訳をして「もしも旅の帰りに同じ道を通るときは我が家へお泊りください」というと「わかった、そうしよう」と旅人は言います。

それで金持ちの男は「では私の願いも3つ叶えてもらえますか?」というと旅人は「それはやめた方がいいと思うが、そうしたければ馬に乗って帰りなさい。今からあなたが望む3つの願いは叶えられるから」と言い歩き出しました。

すでに大きな家に住み、裕福な生活をしている男は、これから叶えたい3つの願いのことを考えながら馬の背に揺られて家への道を進んでいました。

そのとき、乗っていた馬が急に落ち着かなくなります。

ゆっくりと願いを考えることができなくなり、とてもイライラしてしまい思わず「お前が死んでくれたらと思うよ」と苛立ちから言ってしまったのです。

すると馬は急に倒れて、その場で動かなくなり息を引き取りました。

男はそれが自分の願いだったと理解しました。

なぜそんなことを願ってしまったのか、とても腹が立ちましたが仕方ありません。

まだ2つの願いが残っているのだからと気を取り直します。

男は金持ちなのにとてもケチなので、馬の鞍をそのまま残して去るのはもったいないと考えて馬から鞍を外して背負い、歩き始めます。

太陽が照り付けるなか、鞍を背負って歩きながら残り2つの願いを考えました。

たとえこの世の富をすべて手に入れられるように願ったとしても、あとから必ず不足に思うだろう。

なかなか願いが思い浮かないまま歩いていると、どんどん苛立ちにを感じるようになった。

自分はこんなに苦労しているのに、妻は涼しい家でのんびりしているのだろう。

苛立ちまぎれに「この鞍乗って降りられなくなればいいのに」と思いつくままに口にしてしまいました。

すぐに背中に背負っていた鞍が消えたことで、金持ちの男は2つ目の願いが叶ったことがわかりました。

残りは1つしかない。

男は急いで家に帰ると、そこにいたのは鞍に乗った妻だった。

男は妻に「すまない、しかしこの世の富をすべて手に入れるから我慢してくれ」と。

しかし妻は怒りながら泣いて夫に訴えかけます。

「どんなに大きな富を手に入れても、この鞍から降りられなければ意味はないわよ」と怒鳴ります。

仕方なく男は妻が鞍から降りられるように願います。

結局、金持ちの男は馬を失い、さんざん苦労した挙句、望みを叶えられることはなかったのです。

一方の貧しい夫婦は、健康で幸せな一生を送ったのでした。

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貧乏人は被害者にならない

「貧乏人と金持ち」という童話では、貧乏な夫婦は何ひとつ被害はありません。

たとえば「花咲かじいさん」のように、ひどい目に遭うこともありません。

ひどい目に遭う貧乏で心やさしい人に対する同情心を煽らないところが、この物語の特徴とも言えるのではないでしょうか。

自分たちが日々の暮らしに精一杯でも、困っている旅人を見れば心を尽くしたもてなしをする人は、何の見返りもありません。

3つの願いを叶えてやると言われても、欲がないので健康と飢えない程度の食べ物しか思いつかないのです。

ただただ心やさしい人と欲深い金持ちとの対比が際立つのは、同情心を煽らない設定だからではないでしょうか。

金持ちに必要なのは

この物語の根底にあるのは「金持ちは欲深い」ということではないでしょうか。

当たり前のように思いますが、お金持ちになるためにはケチになり、欲が必要なのかも知れません。

世の中には巨万の富を得ながらも、さらに富を手に入れようとする金持ちもいますが、慈善のためにお金を使う金持ちもいます。

もしも「貧乏人と金持ち」の金持ちの男が、自分だけのことを考える人じゃなく、手にした富を人に分け与えられるような人であれば、結末は全く違ったでしょうね。

まとめ

お金持ちというのは、心が貧しくなりがちなのではないでしょうか。

自分の富を守ることだけに一生懸命になってしまうとこの童話の男のようになってしまいます。

貧しくても心が豊かな人は、無欲で見返りを求めずに人にやさしさを提供できるのです。

自分がそうなれるかどうか、問われているような物語ですね。

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